野火は血を欲するか。

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「あー‥‥なんじゃ、もう我らの企みが殿様に(つまび)らかにされおったのか?」  ふぁー…。  と、さも眠そうにアクビひとつしたのは、ひょんひょろの一味に連なる娘っ子。  飯井槻直属の娘侍の“さね”は目をシバシバ、口元をもみゅもみゅさせながら案の定台所に居た。 「あのさまは、飯井槻さまの差金か?」  冷えた丸くてデカい団飯(おにぎり)を茶碗にたっぷりの湯に千切っては浸し、まるで酒かなにかの飲みの物でも痛飲するように食す娘侍に、兵庫介は季の松原城の表御門で起きた一件について包み隠さず申せ。と、問い質した。 「さよう、左様。斯様なイタズラをスラスラ思い付き、やれ!と笑いながら申しつけるは、御社さまを於いて他にあるまい?」 「なにゆえ飯井槻さまはそのような為様をされたのだ?儂には見当もつかぬ。そなたさえよければ教授願えまいか」 「構わんぞ♪」  さねは茶碗に鉄瓶を傾け団飯の千切った上から湯を注ぎ、素焼皿の(ひしお)を箸でひとつまみ。  「ふししし♪」と笑いつつガシガシかき混ぜながら、さねは自分が仕掛けた放火のイタズラについて笑ったのか、それとも手づから(こしら)えている醤味の湯漬けに期待を膨らませているのか、よく分からない表情を覗かせている。 「神鹿の殿様よ。知っておるか?」 「なんだ」 「醤はの、強飯(こわいい)にも姫飯(ひめいい)にも麦飯に乗せてもの、米粥に麦粥にも蕎麦粥にまぜても美味いんじゃ♪」 「(もろみ)もうまいぞ。米に甘みが増して一気にかっこめる。…て、なんの話だ」  飯の友。  ……の話を聴きに来たのではないことを、兵庫介はコンコンと懇切丁寧に説明しつつ、さねの食事が済むまで待っていた。 「ところで殿様よ。深志の飯の喰い方と、これに対する御社さまの考案されたうまい飯の喰い方の違いの答がこの椀にあるのじゃが、そなたに解るかの?」  さねは言うなり最後の大きな団飯だった最後の欠片を茶碗にポイッと落とし、鉄瓶と醤皿を左右に据え、兵庫介に飯井槻の策謀の一旦はなんだと考えると問うてきた。 「い、いきなりなんだ?!」 「よもや、わからぬのかや♪」 「わ!判る、判るぞ!し、(しば)し考えるから、今しばらく待たれよ!!」 「はよう頼むぞ。熱い湯が冷めてしまうからのう♪」  どこかで聞いたことがある()り取りをして、ニヤニヤするさねと、あーではない。こーではないと自問自答をしながら結局これは!という最適解が導き出せないている兵庫介を見かねたのか、さねは……。 「じゃあの♪これ見よ♪」  さねは、そう兵庫介の頭を垂れた顔を下から上目遣いで暫し見つめ言い放ったあと、そっと自分の席に戻り醤を箸でちょいと掬った。 「ふししし♪よう観とけよ神鹿の殿様。深志のやり方はこうじゃ♪」  飯が盛られた茶碗を手に持ったさねは、箸を突っ込みグジグジと飯と醤を混ぜ合わせた。 「どうじゃ殿様よ。飯はどんな具合になっておるかの?」 「ずいぶん旨そうになったな」  途端にバチンと箸で額を叩かれた。 「あほう。左様なことは聞いてはおらぬわ」 「いてて、わかっておるわ。混ぜ具合の加減だろうが、醤に塗れた米の部分と、まだ染まっていないダマになったところに分かれておるな」 「左様じゃ。いま深志はこの染まっておらぬ部分の飯を喰っておる最中じゃ」 「だが、それだと飯は飯の味しかしないであろう?」  わざわざそんな物を寄り好んで、混ぜ飯にしといてから喰うなどとは……。  そして兵庫介はハッとする。 「あっ!そうか、つまり深志は深志派に染まっていない奴原(やつばら)を此の国より取り除くため、ご丁寧に国中を深志四条文などで混ぜこぜにして敵味方に分けてから、自分らに靡かぬ敵を飲み下しておるのだな」 「そうじゃ。じゃが、これでは染まらぬ飯を此の国という椀より探すのに手間も(とき)もかかる。そこで御社さまはこう考えられた」  鉄瓶を持ち上げてさねは、茶碗に湯をたっぷりと注ぐ。  湯は茶色に染まり、中の飯が醤に染まると染まらぬとに関わらず、その全てが湯に満たされ混然一体となった。 「食す前にひと混ぜすれば深志も深志一党もその他も、むろん国主家すらも皆一網打尽に出来る、美味い湯漬けの出来上がりじゃ♪」  どうじゃ♪  と、云わんばかりのニヤリとしたドヤ顔を兵庫介に向け、豪快にズルズルとさねは一気に湯漬け飯を喰い始めた。 「まさか飯井槻さまは、此の国を平らげるおつもりであるのか…」  よもやそんな国盗り話になっているとは夢にも思わなかった兵庫介は、途方もないことを思いつかれ実行中の飯井槻の壮大さに、座しているのに立ち眩みを起こしそうになってしまった。  そしてその手管は如何なるものか、さねから更に聞き出したい気持ちで頭の中がいっぱいになってしまっていた。        
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