慶長の時代から物語は始まり。

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「して老尼様。これらの有力武将の他に、御心に留め置かれて居られる御方は居りまするか?」  私の質問が不躾過(ぶしつけす)ぎたのであろうか?  老尼様は眉間に手をやり、(しば)し物思いにふけっていたが、 「ああ、それならばの。『ひょんひょろ』と『神鹿兵庫介(かぬかのひょうごのすけ)』と云う者なればの、覚えておるかのう」  老尼は私に『ひょんひょろ』なる不可思議な名を持つ者と、『神鹿兵庫介』なる名を持つ者の名を(つぶや)くように云い放たれた。 「してして老尼様。その御仁(ごじん)らは如何(いか)なる者達に御座(ござ)りましょうや?」 「ひょんひょろの本来の名はとうに忘れたが、こやつ見るからに変わり者での。体躯はか細く背がひょろぉ~と高うての、(ぬえ)の鳴く夜中にでも遭えば、すわっ!魑魅魍魎(ちみもうりょう)(たぐい)じゃ!との、驚かされること請け合いの(おのこ)であったの」 「で、では、兵庫介なる御仁は如何様(いかよう)な男で御座りました?」 「兵庫介は筋骨隆々の偉丈夫(いじゅうぶ)じゃったが、残念なることにの、そこらの女子(おなご)よりも小さき体躯(たいく)の持ち主での、あまりに風采(ふうさい)の上がらぬ、(たわ)けた(おのこ)であったわ」  私は少々残念な気がした。  ひょんひょろとか云う、如何にも侍に似つかわしくない通称を持つ男と、小さすぎて風采の上がらぬ男が、昔語りの主人公に相応(ふさわ)しい者達とは、とてもではないが思えなかったからだ。  だが、ひょんひょろなる御仁の、本当の名は如何なるものであったのか是非知ってみたいとも思った。 ついでに云えば、兵庫介とかいう男は何をしたのかも、聞けるものならば老尼様より聞き出して、我が名を歴史に残す為にも是非書き記したい軍記物に花を持たせ、物語の幅を広げる役目を与えられた存在ではないかと考えたのだ。  しかしまあ、恐らく名前やら体格から察するに、大した男達ではあるまいが、ここはひとつ聞いて置くにしくはなし……。 「つかぬ事を御聞き致しまするが。その、ひょんひょろなる人物の武勇伝なんぞ、なにか御座りましょうや?」 「ひょんひょろは(いくさ)(はたら)きにおいてはの、(くそ)ほどにも役にはたたなかった男でのう」 「で、では、兵庫介なる御仁は?」 「抜け作じゃったなァ~」 「は、はあ。左様にござりまするか……」  私はついに嘆息(たんそく)してしまった。 それに気付かれた老尼様は眠たそうに目をしばたたせて、こちらをチラッとだけ見やり、ふししし♪っとまた、さも面白そうに含み笑ったのだ。 「ふふ。まあ聞くがよいのじゃ。先程も申したが彼の国ではの、家老、中老は言うに及ばず、小名や土豪までもが仲良くくんずほぐれつ、引っ付いたり離れたりと合い争いて、僅かばかりの領地を手に入れ砂山の如き高みを目指すか、はたまたは生き残る為に無い知恵を絞りだしての、無駄な労力を使う事にこそと、必死となっておったのじゃ♪」 「つまりは〝下剋上〟と云うわけでしょうか?」 「よもや、高きを目指すぬしにとりて、詰まらぬ話にはなりは仕舞いての♪」  自分の志すべき事柄を即座に言い当てられた私は、思わずたじろぐ。 「…本当に左様な話になりましょうか?」 「聞き手によるかの♪」  そう云うなり彼女は両の手を揉みつつ火箸を握り、夏だと云うのに囲炉裏(いろり)の中で折り重なり赤く燃える炭を、これが大事だと云わんばかりにひとつひとつ摘んでは、火の通りが良くなるように積み重ね方を工夫されつつ、さも楽しげに此方をまたもチラチラ覗き見ておられた。  滅法(めっぽう)(あつ)い‥‥。帰りたい。 「ふしししし♪左様にしょ気るな、しょ気るな♪いまだ昔話は始まってはおらんのに其方(そなた)は軽はずみな奴じゃ♪」  老尼様が含み笑いを私に向けられた。途端、炉の炭がびしっと割れて()ぜ、巻き上がった粉火が、ほの赤く雪みたいに天井へとゆらり舞い上がり、やがて庵の隅々にまで広がった。  そうして炭の粉雪を舞い上がらせた炉は、新鮮な空気を取り込んで益々赤々と熱をため込み、(いささ)物憂(ものい)げになった私から見ても、其処(そこ)に何か燃えそうなものでも放り込めば、新たな火種を起こすのには丁度よい勢いを、この炉は(かも)し出していた。 「よき火じゃ。野火にでもなれば、さぞ田畑や国を潤すじゃろうて♪」 老尼様はニコニコ笑顔で微笑まれ、高齢の所為(せい)からか体の冷えを(いた)わるように両肩をしきりと揉み、両の手を炭にかざされ謂われた。 「彼の者たちがの、茅野家が当主。飯井槻(いいつき)と呼び習わされておったうら若き女性(にょしょう)に、守護職であった国主家を差し置いて権勢を(ほしいまま)にしはじめた参番家老の深志家が、茅野家の乗っ取りを企み婿入りを画策したことがの、彼の国の命運を決める分水嶺(ぶんすいれい)になったのじゃ♪」  ふししししし♪  面白そうな話であろう。  そうしてとある国の、とある人々の物語が今、彼女の口を通して語り始められようとしていた。     
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