要害 新町屋の城

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 さてさて、今でこそ川廻船問屋を営んでいる商人【得能家】は、元を正せば瀬戸内の海賊の出である。  その血筋のためかは知らぬがこの家は、國分川流域の利権を持つ商家としての表の顔と、そこから得られる権益を守るのに必要な武力を有する、領地無き豪族としての裏の顔も併せ持つ存在であった。  この特異な性質の新興豪族に五年前、目を付けられたのが飯井槻さまとその父君、茅野六郎寿建(かやののろくろうひさたけ)の二人であったと後の世では伝えられている。  此の国の西側海岸沿いを中心に内陸に向かって領地を持つ茅野家は、軍事に於いても商いに於いても国内外で滞りなく活動する為には先ず、陸地を貫く國分川の利用が必須条件であった。  例えば、国内の敵地に展開中の味方軍勢に対して、速やかに必要な物資や人員を最小限の人数で運び込むのに最適な方法として、搭載量の限られた荷車の群を多数の人数で運行させる陸運よりも、少ない人数で大量積載が可能な舟群での水運を利用した方が効率の方が利点があったのだ。  なにより平地ならまだしも、山地を踏破するには歩きよりも舟便の方がしやすい。  特に、國分川の豊かな水流が概ねなだらかであるのも関係していた。  穂井田家や支流がつながる東の三家が領地としている山地となると川幅狭く急流もあり、下るのは兎も角として上がるのには舟に縄をつけ人足連中が山道を伝いながら引っ張るか、出発点から売り物の材木を組み(いかだ)として水主(かこ)を付けて流し、下流の船着場で解くしか手はなく、むしろ素直に歩いた方が易く早いのだが、それ以外の場所であれば舟は行き来し易く、荷を運ぶにも兵員を輸送するにしても組みやすい川であったのだ。  そんな事情で、国の外や国中で手広く商いやらなんやらを行うには水運を握る得能家と手を結ぶにしくはなし。  その事実に目を付けられた六郎様と飯井槻さまは、川廻船問屋として商業的成功を治め興隆してはみたものの、武家としては未だに再興は出来ず、行き詰まりを感じ始めていた得能家に注目したのだ。  國分川の川沿いに、猫の額程度の土地を幾つか、都での戦続きで資金繰りに喘ぐ土豪らから高値で購入してはみたものの、そもそも買った土地は皆狭く、人も少なく、やせた土地ばかりであったために投資にばかり金が掛かってしまい、肝心の耕す百姓の確保に使う資金の調達も赤字に成りかけ絶望的で、もちろん土地の防衛に人を回せば本業の廻船問屋の経営がままならなくなり、つまりは領地となるべき土地は小さいながらも手にしたものの、その経営がどうにもうまくいかない事態に陥ってしまったのだ。  目論見が外れた得能家は、すっかり困ってしまった。  この心の隙間に付け込む形で、得能家に事態の解決策兼儲け話を持ち込んだのは、飯井槻さまの(はかりごと)であったそうな。  彼女はお互いの得手不得手を先に説き、実際に茅野家が行っている海上運送の様子や商売の仕方を、彼らに余すところなく開示し、実際にやらせた事で証人としての信用を得て、その後も、幾度にもわたり人員を行き交わせて、双方の家の良い点や悪い点を認識させることに成功した。  しかもその上で、交易収入の多くを海運に頼る茅野家と、川廻船運送の収入に頼る得能家は自然と昵懇の間柄になっていき、お互いに不得手とした事業を補い合う事で持ちつ持たれつの関係を築かせ、商売人らしく疑い深い得能家からの信頼を獲得し、彼らの足りない人数を茅野から融通したり紹介したりしてやった。  これにより得能家は、経済・領地運営に必要な多額の資金と人材の確保に成功し、重ねて、元来領地無しの根無し草身分であった彼らは、今や立派な領地持ちの武家にまで秘密裡ながら成長する事にも成功した。  国主家を始めとしためんどくさい輩から隠し(おお)せた理由は簡単。  得能家と昵懇の間柄になる目論見を果たせた飯井槻さまが、得能家の当主に対し持っている土地の収益に三倍する三百貫の知行で直臣にならないかと誘いを掛けたからだ。 『深志家の野望渦巻く昨今、土豪共も銭が要り用での、自ずと土地を買い足すにしても、今より?せた土地を高値で握らせられるだけじゃ。どうじゃ、当家に仕えてみないか』と諭したのだ。  此の国の守護職であり、茅野家の主君でもある国主家は勿論、他の家に対しても、得能家が茅野家の配下になった事実は、その一切を漏らさないとの申し出が得能家当主からあったが、飯井槻さまはこの条件を笑顔で飲み下されたされる。  以来、対外的には完全に秘密にされており、従うふりをして、この約束が守られるかどうか、飯井槻さまの素行を試していた得能家は、守られた事実を確認したあと、当主である得能彦十郎通益が、自ら進んで望んで飯井槻さまに拝謁したことで、晴れて茅野家家臣に加わったのだった。  まあ後日、兵庫介が聞いたところによると、当たり前と云えば、当たり前の話だが、あの飯井槻さまが只で、得能家の申し出を引き受けた訳ではなかったことだ。  そうしておいた方が得能家の特質である、川の上では自由な商人としての活動が阻害されず、配下に成った事実で無用な軋轢を国主家や深志家を始めとした他家に生まれては、折角の美味しい果実の収穫が出来なくなってしまう。  これ以外にも、国内外各地での情報収集や、人脈の創造にも一役買わせており、既に茅野家では重要な役割を与えられた家の一つになっていた。  お陰様で茅野家に仕え連なる者共の川の渡し賃などは、無料(ただ)なのである。
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