野火は血を欲するか。

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 翌。五月二十七日。  丑の(午前二時前後)。  季の松原城に珍事があった。  火事である。  発見が早かったので小火(ぼや)で済んだが、あの壮麗な大手門の外側の上の方がひどく焦げた。  お陰で随分見掛けが見窄(みすぼ)らしくなったが、幸いなことに城の防備に支障はなく死傷者も居なかった。が、火の気がある場所でもなくあきらかに考えられる原因が人災、即ち放火であるのは誰の目にもハッキリしているのだが、城内に込めてある蕨隊からやって来た使者の報告により当時の状況に兵庫介は驚かされた。 「いきなり御門に火柱が立ち昇った。と、そなたは申すのだな?」 「しかり!」  侍所の一室に寝床を定めた兵庫介の問いに応えたのは、前日、蕨三太夫から差遣された新町屋城で巡り会った若き遣番であった。  彼は部屋の外、軒下に片膝をついて(うつむ)いている。 「誠であろうな」 「相違なし!」  若者は力強い返事をする。  その若々しくも逞しい若者の筋肉麗しい姿に免じて、にわかに信じ難い事柄ながら、兵庫介は若者が直に見聞きした事象について眉をかすかに歪めた。 「やりおったな」 「はっ?」  若者は頭をもたげ、兵庫介を不思議そうに観ながら口をポカンと空けた。 「いや、気にしなくていい。そなたの火急の報せ感謝する。さぞ疲れたであろう。お主は休息を取れ、寝所と酒肴なりを用意させよう」 「いえ、直ちに出立し持ち場に戻りとうございます」 「左様か、ならば手土産に酒なり用意させよう。皆の慰みとせよ」  寝間着のまま手を振り声を上げ、寝ずの番の近習を予備にかかろうとしたが、これを静止したのは(くだん)の遣番であった。 「殿様。それには及びませぬ。今、御城(季の松原城)は蜂の子を突いたみたいに無闇にざわついておりますれば、そこに少量でも酒を運び込めば(あら)ぬ疑いを掛けられるやも知れませぬ。御一考いだければ幸いです」  儂とした事がなんとも無様な物言いをした。そう反省して右頬をひとつねり、童じみた嫌がらせなれど深志に一泡吹かせたとして密やかに浮かれた自分を恥じた 「では御城に出立まえに、ひとつお主の才覚を見込んで頼みたい仕事がある」 「なんなりと」  兵庫介の言葉を聞き漏らすまいと、両膝を付いた頼もしい若者は拳を地を凹ませるが如く押し付ける。 「新町屋城に行って我が隊の荷を改めて参れ、恐らく少なくとも【霹靂(へきれき)】が一つ。行き方知れずになっておる筈だ」  そう言って兵庫介は枕元から筆記用具を手に取りサラサラと一文(いちぶん)をしたため、もし、何者かに検分するを咎められた際に備え、先ずこれを巻右衛門(蔦巻右衛門)に見せよ。そして些細なことでも良いから新町屋城で見聞したものは全て儂に伝えよ。  急げ。  左様申し付けた。  若者が闇に塗れるように去るのを見届けた兵庫介は近習を呼び、右左膳(うてなさぜん)を早急に起こし此方へ参るよう申し付けた。  要件は昨日来、仕事と称して姿が見えぬ娘侍の“さね”を、そして恐らくは一仕事して帰参しているであろうあの小さな娘を茅野屋敷の中から探させ呼び出す為であった。      
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