季の松原城下の茅野屋敷。

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 そんなこんなで開催理由不明な宴が、文字通り宴もたけなわになった頃。  基本設計が平安の昔の寝殿造りである茅野屋敷は庭園の、ド真ん中に揺蕩(たゆた)っている池に掛かる上部に湾曲した石橋の上で酔っ払った右左膳が、同じく酔の回った蔦巻右衛門利登(つたまきうえもんとしちか)を煽りつつ引き上げ、自身の幼妻(おさなづま)の名を雄叫びながら相撲という名の取っ組み合いを始めた。  この騒ぎを目の当たりにした神鹿の家中の皆が皆、この狂騒に耳目を傾け大いに囃し立てる。  この喧騒に釣られて、屋敷中の人間も何事かと集まり始めた頃合いを見計らったようにツツツッと、何処かへ姿を(くら)ませていたひょんひょろが、他の者たちと同じ様に左膳と巻右衛門のフンドシ漢祭りに注視していた兵庫介の真後ろに現れ、こう耳元でコソコソ告げた。 《深志家から面会を求める者が参られました。お会いになられますか?》  酔魔のせいで半目になり、表情筋まで泥芥(どろあくた)みたいに下に緩んでいた兵庫介の顔付きが、一変した。  来訪者の名は、“垂水(たるみ)源次郎(げんじろう)正辰(まさとき)”だという。  深志家中で失脚する前は、茅野家に仕える神鹿兵庫介の境遇と同じく親子二代に渡る外様(とざま)の身の上でありながら、皮袋こと深志弾正に気に入られ、深志家の家宰への参加を許され、戦でも攻めの戦も強いが、特に真価を発揮するのが敵に押され崩れかけた味方が軍勢を立て直すまでの(とき)を稼ぐ防御戦の指揮や、殿戦(しんがりせん)の采配に長けた名のしれた男であった。 「そんな奴が儂に何用であろう」  首をひねり(いぶか)しがりながらしっかりとした足取りで、ドンチャカドンチャカ。飯碗や御膳を打楽器に箸やら拳やらで叩き音雑騒がしい大広間から出た兵庫介は、近習連中が泥酔したため自ら衣服を調(ととの)えつつ、先導をするひょんひょろに従い建屋を繋ぐ短い橋のような渡殿(わたりどの)を歩み、西対(にしつい)の裏縁を進んで隣接する大きく改築された侍所の裏手の杉の板戸の前まで来た。 「ああ、そうであったな。垂水といえば汚爺(おじい)の、いやさ、鱶池金三郎のとこに居た姉妹の稚児の父親(ててご)か」  まだ酔から覚めそうもない頭を左右にしきりに振り気だけは持ち直し思い出した兵庫介は、両膝を付き厳かに板戸を左右に開けるひょんひょろの先に、件の垂水が待つ番屋の控えを兼ねた大広間の檜材とは違う杉板敷きの小部屋があった。
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