1人が本棚に入れています
本棚に追加
真夜中の想い(後編)
俺がワラ人形に憑依する様になって今日で七日目。
ま、明け方には燃やされて家に帰れるから、良いっちゃ良いんだけど。
目の前にはいつもの女だ。
誰を恨んでるのか知らないが、そんな願い叶えねーよ。
でもなんか……どんどんやつれていってる気がするな。
少し、心を覗いてみるか……。
◆
場所は噂の交差点だ。
日中なのか、夜中と違って車の往来が結構あるな。
確かに死神の言った通り、この神社とは目と鼻の先みたいだ。
すぐそばに神社へと続く階段が見えている。
そこに歩いて来たのは、仲良く手を繋ぐ若い女と若い男。
女はちょっと派手目。
バッチリと化粧をして、おしゃれな洋服に身を包んでいる。
……ぱっと見、わからなかったが、こいつは間違いなくワラ人形の女だ。
って事は、男が旦那さんだろうか。
なんだか女とは対照的に、地味で、なんとなく頼り無さそうな雰囲気を醸し出している。
歩行者用の信号は、ちょうど青色から点滅を始めたところだ。
「あ、トシ君、信号変わっちゃうよ。渡っちゃおう」
「え、危ないよ、みほちゃん。ちょっと待とうよ」
「大丈夫だって! 映画、間に合わなくなっちゃうよ!」
ふーーん。
この女はみほって言うのか。
みほは引き留めるトシ君の手を引っ張りながら、信号を無理に渡ろうとする。
ま、信号はまだ点滅をしているから、急げば間に合うだろう。
早足で歩くみほ。
手を引かれながら、少し遅れてトシ君もついていく。
後少しだ。
後少しで、二人は横断歩道を渡り終わる。
もう一メートルも無い。
信号はまだ点滅している。
と、
――キキキキキキイイイイイイイッッッッ!!!!!!!
それは
音――
音――――
音――――――
まるで五寸釘の様に、みほの心に突き刺さる。
突然のブレーキ音に驚き、横を振り向いたみほの視界には、大型トラックが目前まで迫っていた。
心臓を鷲掴みにされた様に、身体が硬直して動かない。
だが不意に強い力で手を引っ張られ、みほは後方へと飛ばされる様に倒れ込んだ。
次の瞬間、みほが見たものは大型トラックにはねられるトシ君の姿。
彼は、木枯らしに吹かれる冬の枯れ葉みたいに宙を舞った。
そして数回、宙で回転をすると、アスファルトへと頭から落下し、そのまま動かなくなった。
ほんの数秒の出来事だった。
だが、みほにはスローモーションの映像の様に映った。
すぐに駆け寄り、みほは必死に名前を叫ぶ。
だがその呼び掛けに、トシ君が応える事は二度と無い。
決定的だった。
うわべだけは気丈に見えるみほの心。
だが、その奥の、更に奥底にある、ひどく繊細で柔らかな心の深部に五寸釘はずぶりと突き刺さってしまった。
原因は大型トラックの運転手の前方不注意。
トシ君は、即死だった。
◆
お通夜の日。
土下座をし、泣きながら謝罪をする中年男性の姿が見える。
トラックの運転手だろう。
横には奥さんであろう年配の女性もひざまずき、ひたすらに頭を下げている。
運転手が勤める会社の上司や社長もいる様だ。
彼らも同じ様に何度も何度も頭を下げている。
みほはぼつりと話す。
「……もう顔を上げてください。貴方達の誠意は、充分伝わりましたから……」
みほの言葉に嘘は無い。
彼等達は心の底から謝罪をし、心の底から悔い涙してきた。
そしてその想いは、みほにしっかりと届いていたのだ。
そして俺は理解した。
ああ、そうか。
この人は誰かを憎んでいるんじゃないんだ。
自分自身を憎んでいるんだ。
あの日、自分が取ってしまった行動を。
何故、信号を渡ってしまったの?
あの人の言う通り待つべきだった。
あたしも死ねば良かったのに。
あたしが死ねば良かったのに!
あたしが死ぬべきだったのに!!
自分を責めて、責めて、責めぬいて。
自殺も当たり前の様に考えた。
でもそれは、必ず誰かしらに迷惑を掛ける。
もうこれ以上、誰にも自分の事で迷惑は掛けたくない。
そう思うと、どうしても死ねなかった。
そしてどうしようも無くなって、こんな事を。
彼女はワラ人形に釘を打っているんじゃない。
自分の心の深部に刺さった釘を、ひたすらに打っているんだ。
もうとっくに釘の頭なんて見えない程に、深く突き刺さってるのに。
心の深部には、神である俺でさえ触れる事はかなわない。
みほか、みほが心を、その魂を許した者だけだ。
カーン。
カーン。
恨みでも、憎しみでも無い。
そこに込められた想いは、懺悔、後悔、そして自分の死。
カーン。
そして今夜も、釘を打つ悲しい音が誰もいない境内にこだまする。
俺は……。
俺は、ぬいぐるみの神だ。
◆
次の夜。
もはや当たり前の様にワラ人形に憑依する俺。
既に胴体には五寸釘が打ち付けられて、自由が効かない。
目の前にはみほがいる。
OK、OK、全部想定内だ。
という訳で、俺はやるよ。
「おりゃああああっっ!!」
俺は気合いを入れ、ワラで出来た身体を動かし、貫通している五寸釘ごと引っこ抜こうとする。
言うまでもなく重大な規則違反だ。
狛犬達がぎょっとした顔をして俺を見ている。
はいはい。
チクりたきゃ~お好きにど~ぞっ!!
みほは流石に腰が抜けたのか、尻餅をついて凝視している。
そりゃそーだろうな。
「ふんっっ!!」
ブチブチブチブチっと、胴体のワラがまとめて千切れるが構わない。
もうちょいだ。
と、不意に身体が軽くなった。
よっしゃ! 完全に抜けたぜ。
樹には五寸釘とワラの一部が残っている。
流石に五寸釘ごとは無理だったが、何の問題ない。
俺は空中をふよふよと漂いながら、階段の方へと移動する。
そしてまだ腰を抜かしているみほに向かって手招きをする。
「さっさと来やがれっ!!」
◆
「ここは……」
みほが呟いた。
場所は問題の交差点だ。
みほにとっては辛い想い出の場所だろうな。
そこに現れたのは死神だ。
「話を聞いた時は半信半疑でしたが……本当にやりましたね」
「後は頼んだぜ、死神」
「はあ……私もまだまだ甘い。一分だけですよ」
俺は予め作戦を伝えておいた死神に、バトンを渡す。
死神は渋々ながらも、地縛霊となっているトシ君の魂を具現化し始めた。
白いオーブがいくつも集まり、次第に人の姿へと変化していく。
その様子を見ていたみほが驚きの声を上げる。
「ト、トシ君……!?」
「みほちゃん。そう僕だよ、としゆきだよ」
完全に人の姿へと変化したトシ君の魂。
「そ、そんな……どうして……? あ、会いたかったよ……」
みほの眼から大粒の涙が、止めどなく溢れだす。
そんなみほにトシ君が優しく話しかける。
「随分やつれちゃったね、ちゃんとご飯食べてるの? 洋服もボロボロじゃないか。僕の自慢の彼女はどこにいったのかな」
「あ……あああっ。ごめんなさい、ごめんなさい。あ、あの時、あたしが無理に信号渡らなきゃ……トシ君の言う通り信号待ってれば、こんな事に……こんな事にはならなかったのに………」
「もう自分を責めないで。僕は君の笑顔を護る為に頑張ったんだよ。なのにみほちゃんは、あの日から一度も笑ってないじゃないか。悲しいな」
「無理よ……あたし、そんなに……本当は強くないもの……」
「知ってるよ。でも、少しずつ、少しずつ、進んでいけばいいんだよ。みほちゃんはせっかちだから難しいかも知れないけど。僕はいつまでも待ってるから」
「トシ君……あたしも一緒に行きたいよ……」
「駄目だよ。みほちゃんが死んだら、みんな悲しむよ。何より……僕が一番悲しい。それより、これからたくさん楽しい思い出を作って。そしてまたいつか天国で逢えたら、色んな話を聞かせてね」
もう、とっくに一分は経っている。
だが死神は、何も言わずに空に浮かぶ満月をずっと見つめている。
そのぽっかりと空いた眼窩に波打つのは、水色の液体。
「うん、うん……」
みほは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、トシ君の話を聞いている。
「そろそろ行かなきゃ。最後に一つだけ、僕からのお願いがあるんだ」
トシ君の身体がうっすら透け始めている。
死神の力も限界なのかもしれない。
「これからはもう僕に縛られちゃ駄目だよ……どうか自分の幸せだけを考えて欲しい。いつか違う人を好きになって、いつか可愛い子供を授かって……」
「やめて……そんな悲しい事言わないでよ」
みほは頭を強く横に振り、否定をする。
「そうか、これが邪魔してるんだね……」
トシ君がすっとみほに近づき、ふわりと包み込む様に抱き締める。
そして、みほの心の深部に突き刺さる五寸釘をするりと引き抜いた。
「行かないで、トシ君。大好き……」
「僕もだよ。みほちゃん……じゃあね、またね」
そしてトシ君は、ふっとかき消す様に消えてしまった。
「トシ君…………」
みほはしばらくその場に立ち尽くしていたが、ふと思い立った様に空を見上げた。
ぎこちない笑顔。
その横を一筋の涙が通りすぎる。
「えへ……へ……うん。あたし、頑張るね……」
◆
…………深く反省し、二度と軽率な行動をしない事を誓います。
ふぅ。
俺は部屋で反省文を書いていた。
あの狛犬達、やっぱりチクりやがった。
あいつら今度落書きしに行ってやる。
死神は何故かお咎め無し。
組織が違うとは言え、解せぬ……。
あの日以降、俺はみほに呼ばれる事は無くなった。
傷が癒えるには、まだまだ時間がかかるだろうが、まあ人間だし仕方ないか。
にしても。
本当に人って、他人を憎んだり、果てには自分自身をも憎んだりもするんだな。
神である俺には解らないが、それが人の弱さでもあり強さでもあるんだな。
相手を許す、そして自分を許す事を覚えた時、人は大きく成長するみたいだ。
と、
「夕飯よー」
階下から母の声がする。
およ。
もうそんな時間?
俺は書きかけの反省文を置いて、急いで部屋を出た。
テーブルには既に父が座っていた。
「反省文は書いたのか?」
「いやーもう少しかなー」
「そうか、ふふふ」
息子が反省文書かされて、何が可笑しいのやら……。
兄は今日も出張だ。
「今日はお隣さんから、茨城土産もらったのよ」
と、母がテーブルにドンッと何かを置いた。
ん。
この臭いは……。
テーブルにおかれた物。
それは立派なワラに包まれた茨城名産ワラ納豆。
「もう勘弁してくれー!」
それを見た俺は、思わず絶叫するのであった。
最初のコメントを投稿しよう!