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里見の問いかけに、アヤは頭を揺らす動きを止めて、足元の水溜りに目を落とした。雨粒が落ちるたび、水溜りには波紋がいくつも繰り返し沸き起こっては消えていく。アヤは、突然思いついた様に、里子の左腕を抱きかかえた。里子が想像するより、ずっと強い力で、自分の体をギュと密着させた。里子は勢いに押されて、後ろに半歩ほどよろめきそうになったが、アヤの束ねた髪を見つめ、背中に手を回すと、自分の方へ引き寄せた。すると、アヤの腕の力は、少しだけ緩んだような気がした。結局アヤが、傘の質問に答えることはなかった。
里子は、アヤをゆっくり、体から離した。見上げるアヤに、小さく笑顔を投げかけた。アヤもそれに答えるように、頬を上げて笑顔になった。里子は、小さくキラキラと光っている娘の目を見つめた。
「あのね、アヤ。お母さんに『おつかれ』は、おかしいでしょ? そう思わない」
里子の問いに、アヤは真顔になった。笑顔消す事で返事をしたようだった。
「それって、仕事してる人が使ったりするものよ。まるでパ・・・」
里子は、出掛かってしまった言葉を一瞬どう取り扱おうか悩んだ。しかし、「ここまでなら」と、勝手に見切りをつけて続けた。
「パパが会社の人と言ってたみたいでしょ。分かる? ママには、『お待たせしました』とか、『迎えに来てくれてありがとう』って、言って欲しいなぁ。ね、そんなに難しくないでしょ、アヤ」
里子の手を握ったままアヤは俯いていた。里子は、フゥと小さく息を吐き出すと、アヤに「歩こう」と促すように、手を引いた。アヤも小さな歩幅で、里子の横に付いて歩き始めた。「雨止まないね」アヤは独り言のようにポツリとこぼした。梅雨の長雨はまだまだ止む気配がなく、家々の輪郭を一層曖昧なものにしていた。
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