41人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ
1.翔さんとめがみさま
話は変わりますが、私には実体が無いので、普通の人間には私の存在は見えないはずなのですが、中には見えて、話が出来る人もいます。
すでに夜の8時を過ぎているのですが、今日はまだ来ないです。今日が最後だっていうのに、何かあったのでしょうか。
『ただいま、第12競走の発売を行っております。本日は発売窓口が混雑しておりますので、勝馬投票券のご購入はお早めにお願いします』
いつもは閑散としているスタンドにも、今日が最後ということもあって、たくさんの人が来ています。名残惜しそうに写真を撮る人もいらっしゃいます。しかしその中に姿はありません。
「悪い、締め切りがきつくて遅くなっちまった」
噂をすればなんとやら。来てくれました。灰色のジャンパーを羽織った35歳ぐらいのおじさんで、翔さんと言うそうです。なんでも売れない小説家なんだとか。
親が残してくれたアパートの家賃収入と、わずかな原稿料でなんとかやっていると聞いたことがあります。競馬は趣味の範囲で楽しんでいるそうです。
私は彼のお話に、頑張ってね、と、はげましの言葉をかけてあげることしかできませんでしたが、それでも彼は喜んでくれて、私もうれしかったものです。
「翔さん、こんばんは、もう最終レースですよ」
「ああ、わかってるよ」
「お別れなんですね……」
「うん……」
彼と最初に出会ったのは3年前になります。私が名も無い神様であることに少し驚かれましたが、その後は友達みたいな感じで話してくれるようになりました。
私は鏡に映らないのですが、翔さんの目には、知的なお姉さんに見えるそうです。
そして、絶対結ばれないとわかっていますが、私は彼に淡い恋心を抱いていました。
でも、別れの時は、刻一刻と迫っていました。今さら告白しても、彼は困るだけでしょう。人間と神様は、住む世界も寿命も違いますから、結ばれない理(ことわり)なのです。
そこで、と言うわけでもないのですが、消えてしまう前に、ひとつのわがままを言うことにしました。
最初のコメントを投稿しよう!