2.断末魔の笑み、腐乱する笑声

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「元気?」 「調子はどう?」 「ごめん、呼んでもないのに俺が来ちゃって」 どれもパッとしない。  田舎めいた外の景色をぼんやりと視界に入れつつ、窓枠に肘をついて、あれやこれやと言うべき台詞を考える。  そうするうちに時間はどんどん過ぎて行って、彼女がいるという病院のある駅についてしまった。渋々電車を降りて、見知らぬ街に一歩を踏み出す。  人通りは疎らであった。  近くには海がある。その海の近くに病院があった。  水色の空に薄雲が張り、オレンジ色の陽光が射してくる。日中の暑さとは違い、涼しい風がシャツの裾をたなびかせる。潮の香りに思わず胸が締めつけられた。  ぐっとシャツを握り、意を決して彼女の許へ向かう。  外装が少しだけ古ぼけて、塗装の剥がれた白い壁と薬品の臭いで満ちた待合室がある。そこで面会を申し込み、エレベーターが点検中とのことなので、階段を上り、二階の端の病室へ歩いて行った。その途中で他の患者を見舞いにきたのであろう家族が瑞々しい果物の入ったバスケットを持っているのを見て、あっと思った。ここに来るのに精一杯で、俺の持っているものと言えばすっからかんの鞄しかない。見舞いの花や果物などを持ってくるべきだったと後悔したが、そんなことを考えているうちに彼女の病室はもう目の前で、表札には「深山木夕夏」とある。 「ふかやま・・・?」 突然頭が真っ白になった。  病院に来たのはいい。  だが、この「ふかやまぎゆうか」とは誰なのか。  酷く不安な気持ちに襲われた。  俺は誰の為にここにいて、なぜここに立っているのだろうか。  眉間に皺を寄せ、もう一度おそるおそる表札を見上げた。やはり自分はこの「ふかやまぎさん」の面会に来たのだろうか。  さて、この人と俺はどういった関係にあるのだろう。  どうして俺がこの人の面会に来ているのか。  さっぱり思い出せなくなって、ここに来たのは良いが、しかし、病室の前で立ち止まり、数分間悩み続けた。  こんなことがいったいあるだろうか。誰かの見舞いに来たのは確かだが、俺はこの「ふかやまぎさん」という人を知らないのだ。もしも過去に会っていたとしても、話したことどころか姿形でさえ何一つ思い出せない。  困った。冷や汗が首筋を伝い落ちる。  帰ってしまおうか。  どうせ分からない人なのだ、そう思って踵を返しかけた。
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