1.刃の様な幸せだった

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「そこに座ってたの、誰だっけ?」 突然思い出せなくなったのである。  今日は水曜日、昨日も一昨日にも学校があり、きっとそれらの日にはそこに座って授業を受けていたであろう人のことが不意に思い出せなくなってしまった。それはまさしくこの空席の如くぽっかりと、記憶に穴が空いたように。  きれいさっぱり。 「だれだっけ」 眉をひそめて独り言を呟く。  すると真面目にノートをとっていた隣の女子が、怪訝そうな目つきでこちらを見、 「忘れたの?」 と若干の非難をこめた口調で尋ねてきた。それに俺は頷くしかない。 「深山木だよ、深山木夕夏」 「ああ」 胸のしこりがとれたような気がした。  そうだ、ここに座っていたのは紛れもなく深山木である。今日までの記憶が一気にぶわーっと戻ってきた。  昨日も一昨日も確かに彼女はそこにいて、時々後ろを振り向いては俺と喋った。もともと席替えをするまでは隣同士で、高校生になって初めて会ったにも関わらず話が弾んで、とても楽しい子だなと思っていた。それなりにかわいいし、聞き上手でもある。そのせいで先生に怒られることもあった、話し声がうるさくて、咎められることもあった。そして彼女は折り紙付きの馬鹿であり授業中にあてられた際には殆ど必ずといっていいほど俺に助けを求めてきた。  異性だけれども、同性と変わらぬほど濃い友情を築けたと思っていた。  が、それも一週間前の話。  突然彼女に告白された。いや、俺にとって「突然」だっただけで実は、彼女からしてみれば一目ぼれとか気の迷いとか刹那の過ちとかそういうものではなく、ずっと前から、俺が「楽しい子」だなと思っていた頃からの話だったらしい。 『隣になって好きになった、席が離れても好きのままだったから、告白したの。』 彼女に言われて、本当にどうしようかと心の底から迷ってしまった。  何故なら俺にとって彼女は至高の友人であり、異性では確かに最も仲が良く、「好き」ではあったがそこには「愛」がなかった。  無論、彼女の方も俺と普通に喋っていただけで、俺が鈍感なだけだったかもしれないが、「好かれている」と察せるほどの愛情表現はなかったし、特別「好きだ」という姿勢は見て取れなかった。  だから俺は、大して考えるまでもなく、苦しくはあったが決断を下した。 『ごめん、友達にしか見えない。』  寒気がした。  まさか深山木を忘れるだなんて。
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