8.下塗り始めました。

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 彼女に……彼女のその細い身体に掠めた指は、まだそこに彼女の熱を感じる。  彼女に触れて、自分はどうしたかったのだろう。  突き動かされる衝動のままにその手で触れてしまってから、少し後悔した。  驚いた表情も、狼狽える彼女の仕草も、思いの外愛らしくて、自分は抑えがきかなくなっていたのかもしれない。  この胸を騒がせる甘いざわざわとした感情は、本当に奇妙だ。女性と付き合ったことはあるが、こんな風におかしくなる自分は初めてだ。  自分を描く間、あの柔らかな優しい時間をくれる美月を「欲しい」と、思ってしまった自分は、獣じみているだろうか?  自分を見つめて木炭を握る彼女の横顔が、時折浮かべる笑顔も、愛らしい声も、こちらを見つめる瞳も、全部が心地よかった。 (あの時間がどれほど、忙しい自分の殺伐とした日常の癒しとなっていたか分からない)   それが、もう一週間は無い。  毎日、顔を合わせていたのに、あの日からパッタリと美月は執務室に来なくなった。  もう七日は顔を合わせていない。 (……そろそろ限界だ……)  カーテンの布を握り、レオンハルトは溜め息を吐いた。彼の部屋からは下の階にある美月の部屋の灯りが見える。  ……彼女はまだ起きている。  レオンハルトはそっと窓から離れると、部屋を出て行った。
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