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不意にどこか鼻をつく、ツンとした臭いに気付いた。
「これは血の臭いじゃねえな」
「血痕じゃなく、塗料スプレーのようね」
床には、無造作に転がった新品の缶が一つ。
梱包用フィルムは乱暴にむしり取られ、周囲に散らばっていた。
手を触れない様、腰を降ろして眺める。
「まだノズルが濡れている。
この缶が使われた事は、間違いないみたい」
「でもなんのために?」
私はそれに答えず、カーテンが風で暴れる窓へ歩み寄る。
床の塗料を踏まずに進むため、ほぼつま先立ちで。
開け放たれた窓の下。
まばらになった野次馬と、警察の姿も見える。
足場になるような、パイプや窪みは無い。
まるで狐につままれたような気になった。
「犯人はどこへ消えたのかしら」
その時桑咲の体が、真横というありえない方向へ傾いた。
「いたっ」
尻もちをつき、目に溢れんばかりの涙を溜めている。
星元はただおろおろと、彼女を見下ろすばかり。
「おい、あんた。
女を突き飛ばすとは、なに考えてんだ」
「ば、馬鹿を言うな。
俺はなにもしてない」
「言い訳は見苦しいぞ」
火野と星元が、言い争いを始めた。
蚊の鳴くような声で、桑咲が弁解した。
「遠見君じゃないわ。でも誰かに押されたのは確か」
「他に誰がいるってんだよ」
困りきった口調で、大げさに真っ赤な部屋を見渡す火野。
その時唐突に、違和感の正体に気付いた。
「そう、誰もいないわ」
火野が不安そうな目で私を見る。
「塗料の上に足跡一つ残さず、犯人は消えてしまったのよ。
内側から鍵のかけられた部屋でね」
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