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松塚さんとの出会いは、三週間前に遡る。
講義の合間に、自販機横のベンチでストレートティーを飲んでいた時の事。
見るからに高級な財布を置いたまま、立ち去ろうとする女がいた。
私は彼女を呼び戻し、不注意だとタメ口で釘を刺したのだ。
同い年に見えたのだが、実は四つ上の大学院生だった。
「薬学部、修士二回生の松塚凪よ」
「法学部二回生の、犬井一子です。
さきほどは、すみませんでした」
「謝らなくていいの。
お互い様だもの。
代わりにちょっと、話を聞いてもらおうかしら」
卒論に関する愚痴を一方的に聞かされるうち、話題は悩み相談へ。
「研究室の私物が、誰かに漁られている気がして」
「そう考えた根拠は?」
「物の位置が、微妙に変わっているの。
例えば、鉢植えの角度。
日の当たる窓に、葉を向けていたはずなのに。
いつの間にか、室内側を向いていたり。
それから、本の並び順。
細胞コーナーの中に、遺伝子系が一冊混じっていたことも。
他にも、ごみ箱の位置が――」
似たりよったりの、些細な事例の列挙。
一応、じっと黙って聞いておく。
「ドアの鍵は、どうなっていますか」
「閉めたことないの。
学生課が、合鍵は無いから気をつけろってしつこいから。
失くさない様、家に置きっぱなし」
「流石に不用心なのでは?」
「それは――」
すると彼女の顔に、狼狽の色が浮かんだ。
震える右手が、校章入りパーカーの裾をぎゅっと握りしめる。
私と目が合うと、慌てて視線を逸らした。
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