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アイリスの花を貴方に
僕は娘を愛することができない。
降りしきる雨の中、亡き妻の墓前で絶望に満ちた言葉を吐き出す男がいた。
男は父子家庭の大黒柱だ。妻の忘れ形見である5歳の娘と共に暮らしている。
だというのに、男は自分の娘を愛していると感じることが出来なかった。
何故か? その理由は娘の出生にある。
娘、アイリスは妻の命と引き換えに生まれたのだ。
こうした言い方では語弊があるかもしれないが、男の実感ではそういうものだった。
男の妻は大病を患っていた。
子供を産むことすらできないかもしれないと医者に言われることもあった。
それでも妻は子どもを望んだ。自らの命と引き換えにすることもいとわずに。
無論、男は妻の意見に反対した。
男は妻が居ればそれでよかった。長く寄り添うことはできない。
それを知っていても妻と寄り添うことを望んだほどである。
今でも妻という存在を、全てと引き換えにしてもいいほどに愛している。
その愛故に男は娘を生むことを反対した。
だが、妻は譲らなかった。こんな自分でも子が産めるのだと証明したいと。
そして何より、愛した男のために価値あるものを残したいと。
何度も繰り返された話し合いの末に折れたのは男だった。
男は妻を本当に、本当に、愛していた。
彼女のいない世界などいらないと言い切るほどに。
だから、そんな大切な女性から頼まれたことを断れるはずが無かった。
涙が枯れ果てる程に泣き、彼女の願いを聞き届けた。
そして、妻は娘を生むと同時に夫と娘を残してこの世を去ったのである。
残された男は妻の願いを叶えるべく娘と共に生活を始めた。
妻がその命の全てを使い果たしてまで産んだ娘。
愛することはあれど、憎むことなどできるはずがない。
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