If すこしだけ未来の話

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If すこしだけ未来の話

 自分の知らない人達がみんな、自分の恋人のことを知っているというのは、不思議な気分だ。  「ママ、やえがしー」  振り返ると、母親に手を引かれている小さな女の子が駅の広告看板を指差していた。  母親は、あら、と頬を染めて持っていた携帯電話をそれに向けて写真を撮る。  翳された携帯の先には、真剣な顔でこちらを向いているマコトのドアップの横に、狙った獲物は逃がさない。と書かれている殺虫剤の広告看板があった。  ホームの自販機にも、スポーツ飲料のポップにユニフォーム姿のマコトが写っている。  どの写真も正真正銘、恋人のものなのだが、どれも今まで知っている彼の姿とは雰囲気が違っていて見るたびに新鮮に感じる。  先日は女性誌に上半身裸のグラビアなども載せられていて、電車の中吊り広告で発売を知ってすぐに求めて見たのだけれど、改めて吃驚するくらい美丈夫なマコトが写し出されていた。  これの撮影があったという日、帰ってきたマコトは「こんなの、俺にはもう無理だ」とベッドに突っ伏して悶絶していたが、出来上がった写真は彼の魅力を最大限に引き出している素晴らしいもので、このお陰でさらに相当数のファンを獲得したのではないかと思った。  自分だって、その写真(白いシーツの上に仰向けに寝そべり、恥骨のギリギリまで素肌を晒してちょっと妖艶にすら思える笑みを浮かべているマコト)を見てドキドキして、実はこっそり見返してそれで一回抜いてしまった位だ。  しかし、今まで自分だけが知っていたマコトの一瞬一瞬の表情や格好良い所までも、どんどん世間に暴け出されて称賛されるのは、嬉しいような、独り占めしていたものを取られてしまって悔しいような複雑な心境でもある。  「俺のことを格好良いって言ってくれるのはミコトくらいだ」とマコトはいつも謙遜するのだが、今やそんなことは全然ない。実力も才能もあるマコトのことを日本中が格好良い男、と持ち上げている。  元々逞しくも引き締まった身体をしていたし、顔だって整っていた。それが、成長していくにつれて成熟し、大人の魅力が加わって男性らしい美しさが完成していた。  それもあっての人気なのだと改めて思う。  競技を初めてたった数年でオリンピックの金メダリストになったマコトを、若手の星などといってマスコミはもてはやしていた。
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