第1話 触れる唇、つながる体は其の者の名を

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◆     ◆ 「約束したでしょう? その金髪、三年生になったらちゃんと黒に(もど)すって」 「そうでしたっけ。忘れました」 「(けい)君!」  いつもずれている丸眼鏡(まるめがね)()け直しながら、担任が力なく(すご)む。高校三年になるが、この人の凄味の無さは変わらない。  担任が溜息(ためいき)をついて威圧(いあつ)(あきら)め、椅子(いす)に座り直す。眼鏡はもう鼻まで()り落ちていた。 「あのねえ、圭君。もう何回も言ってきたけど、二年生秋までの成績見てたら、十分いい大学狙えるんだよ? 部活後に追い上げてくる人もいるんだから、もう一度しっかり頑張って、」 「言ったでしょう、進学はしないって」 「いくらなんでも冬から成績が落ちすぎ。意図的にやってるとしか思えない」 「やってます」 「素直か! じゃなくて、あーもー……そして、これは何?」  担任が机を示す。  そこには白紙のままの、進路調査用紙。 「ちゃんと書いてたじゃないですか。突き返してきたのは先生ですよ」「バカにしないで。もう二年間も担任してるのよ? あなたが警察官になる気なんて微塵(みじん)もないのくらい、分かります。警察関係の進路の資料にまったく興味持たなかったじゃない。ほんと、詰めが甘いというか、分かってて詰めてないというか。将来のこと、まじめに考えてるの?」 「…………」  考えた。  考えた結果、何も書けなくなった。  俺の「将来」はもう、消えて無くなってしまったから。 「――帰ります。これ以上続けても不毛なの、(わか)ったでしょう」 「あ、ちょっと圭君! 話はまだ終わってないよ!」 「行かないと。友達と会う約束があるので」  (かばん)を取り、担任の声を無視して出入り口へと向かう。  引き戸の取っ手に手をかけた時、彼女の声のトーンが変わった。
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