白石健太の場合

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石橋という女性店員の説明で僕が記憶できたのはたったの3つだけだった。 一つ目は、 「視覚を正常に作動させるために摘出した側頭葉は、記憶をつかさどる器官でもある為に、視野の中に残像が焼き付いて見える事があります。 特定の匂いや思い入れのある風景で、過去の記憶が蘇るって事がありますよね。そういった事が色眼鏡にも起こりえます。 あまりにも強烈な残像は、バグとして処理させていただきますが、ごく軽いものは見つけ出すもの困難であるために、視覚の中に残ってしまいます。 故障でないことを御理解頂き、あらかじめご了承ください。」 2つ目は、 「長い時間のご使用は危険です。 視覚は頭頂葉や側頭葉に少なからず影響します。 長い時間ドナーの視覚の中にいると、頭頂葉や側頭葉で受けた影響が前頭葉にも普及し、ダメージを与えかねません。 前頭葉は、人間として社会生活を営む上で、最も重要な部位です。 こちらに傷がつきますと、理性や思考が欠落し、精神の安定が計れなくなる恐れがあります。 ですので、一日、3時間以内の使用にとどめていただき、長時間のご使用はおやめください。」 3つ目は、 「商品のお届けは2週間後です。」 これだけだった。 もっと噛み砕いて言ってくれればいいのに・・。 つまり、 色眼鏡の視覚の中に、記憶の残像が見えることがあるってこと。 長い時間、使うなってこと。 琴子が商品として家に届くまで、2週間だってこと。 こんなに長い時間を使って説明してもらったのに、理解できたのがこの3つ。 おぼえが悪い僕のせいなのか、色眼鏡を販売するにあたっての義務の詰め込みすぎなのか、考えても仕方ないことをぼんやり考えていた。 「白石様、ご説明は以上です。何か質問等はございますか?」 店員の問いかけで我に返った。 「あっ、特にはありません。」 「そうですか。それでは、長い時間、お付き合い頂きましてありがとうございました。本日は、以上で終了でございます。」 女性店員が椅子から立ち上がり、一礼した。 「どうも。」 やっと終わった・・僕も席を立った。庭に繋がれた犬が散歩に出かける時、こんな気分なのかもしれないなと思いながら、狭苦しい個室を出て自由の空気を吸い込んだ。 個室の外には、先ほどの男性店員が立っていた。 「白石様、お疲れになったでしょう。お客様のご負担を考えると、心苦しいのですが、色々と制約もおおございまして。こちらでございます。」 男性店員が、そう話しをしながら僕の半歩前を歩いている。 僕を外に繋がる自動ドアまで案内してくれるようだ。 店内に客はなく、静まりかえっていた。二人の歩く足音だけが店内に響いた。 自動ドアが開き、新鮮な空気が頬を撫でる。 「何かございましたら、お気軽に当店までお越しください。お待ち申し上げております。」 そう言って外までついてきた男性店員が深々とお辞儀をした。 僕は、男性店員に一礼し、恐縮しながら駅までの道を歩き始めた。
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