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琴子メガネがこの家に届いてから、かれこれ1週間が経つ。
家にいる時、琴子メガネを首からぶら下げている事が多いが、まだ掛けられずにいた。
仕事が終わり帰宅すると、薄暗いリビングで一人、テレビが届ける頼りない揺らぎの光をぼんやり見ながら考えていた。
いい加減、折り合いをつける頃ではないか?
健太は琴子の眼鏡が届いていてから、ずっと悩んでいる。
記念すべき初一回目は、何を見たらいいのだろう。
琴子が愛してやまないこの家の庭?
それとも琴子のクローゼットにしまってある、お気に入りのワンピース?
やっぱり、琴子と初めて一緒に観た映画がいいかな?
琴子の目で最初に見たいものは、なんだろう?
健太は立ち上がり、部屋の隅にある大きな鏡の前に立った。
アンティークショップで買った、琴子がずっと欲しがっていた鏡だ。
僕が琴子の目で最初に見たいのはこれだ。
健太は恐る恐る琴子メガネをかけてみた。
鏡に映る自分の姿は、琴子の目に映る自分のはずだ。
顔を上げ、鏡の中の自分と対面した。
拍子抜けするほど、自分の目で見た姿と変わらなかった。琴子は、掛け値なしで僕を見ていたんだな。
イマイチ冴えない、ダメな僕なのに、何も言わず僕の傍にいてくれたんだね。
テレビから、珍しい音が聞こえて思わず振り返えると、ソファーが目に入った。琴子がお気に入りだと言っていたソファーだ。
三人掛けで木製のひじ掛けに黒い合成皮革のソファーには、楽しそうにしている僕が重なって見えた。
これはあの日の僕だ。
あのソファーを買う時、僕は反対したんだ。
値段も高いし、細い木で出来た足はあまりに頼りないからだ。
でも結局、琴子は頑として譲らず、僕が折れて買ったソファーだった。
家に戻り、あそこに設置してみてはじめて、なかなかいい感じだと気が付いた。
琴子にそのことを話すと、「当然でしょ。」
そう言った後、僕達は笑い合ったよね。
その時の僕が見えるんだ。
僕はあの時、こんな顔で笑っていたんだね。
もう一度、鏡に視線を戻した。
鏡の中の僕は笑顔だったんだ。
琴子のいないこの家で、笑えるはずはないのに。
琴子、僕に笑っていてほしいのかい?
いつだか嬉しそうに買ってきたワンピースを着た琴子が、可愛らしいポーズを取っている姿が、鏡に映りこんだ。
小さな花柄があしらわれた薄ピンク色のワンピースは、キラキラ光って見える。琴子はそれを着て嬉しそう微笑んでいる。
琴子・・
僕、頑張るからね。もう少し頑張ってみるからね。
眼鏡をそっと外した。
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