白石健太の場合

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美穂子ちゃんは時折、僕に問いかけながら、部屋の掃除を始めた。 僕は返事をしながら、美穂子ちゃんに追い立てられるように部屋の隅に追いやられ、腰を落ちつける場所を探した。 リビングに置かれた大きな鏡に不意に映る自分の姿を見た。 この鏡は、琴子がどこかのアンティークショップで売りに出されていて、前々から欲しかったと興奮気味で話していた洒落たデザインの大きな姿見だ。 この家を建てた時、大奮発して買ったんだ。 僕は、この鏡の前で思わず立ち止まり、鏡をマジマジと見た。 肩まで伸びたボサボサの髪は、あまりにバサバサで不潔そう。 伸び放題の髭は、手入れのされてない雑草だらけの庭の様だし、頬がこけ、生気を失くした青白い顔はあまりに貧相で、筋肉がまるでなくなった体は、強い風に当たり負けしてしまいそうな頼りない体になっていた。 初老だな、これじゃ・・ハイセンスで、セレブレティの香りがする鏡の中で、俗世界を捨てた仙人のような風貌に変化した自分の姿に苦笑いをした。 ゴージャスな鏡に映る自分は、鏡に申し訳ないほど不釣り合いな貧乏神だ。 琴子が今の僕を見たら、何て言うだろう。 琴子と交際している頃に、初めて二人で乗る予定の飛行機に恐れおののく僕は、顔面蒼白で体を震わせ、一気に老け込んでしまった。 子犬みたいに震える僕を見た琴子が、落ちなきゃ命は失くさないわよと、たしなめるように言った後、豪快に笑い飛ばした。 あの笑い声に腹が立ったけど、内心ではホッとして飛行機に乗る事が出来た。どうしてだろう、肩に入っていた無駄な力が溶けて消えたんだ。 隣に座るのが琴子で良かった。 心からそう思えた。あの時の様に、今の情けない僕を笑い飛ばしてくれるかな? 僕が、思いに耽っている間にも美穂子ちゃんは、素早い動きで部屋のゴミを袋にまとめ、脱ぎ散らかした服を洗濯し、床に掃除機をかけた。 琴子が生きていた頃の面影を取り戻したリビングで、美穂子ちゃんはお茶を啜っている。 そう言えば、琴子も午後のひと時をこうして、お気に入りだと言っていたこのソファーに浅く腰かけてお茶を飲んでいた。 考えてみたら、この部屋に僕以外の人がいるのは、久しぶりだ。 僕は、ソファーに背を向けるように、掃き出し窓から足を投げだして座り、風に当たっていた。衣替えで半年ぶりに外気に触れる衣類にでもなった気分だ。久しぶりに当たる風は優しい。 美穂子ちゃんはさっきから、世間話や昔話をしている。 雑音ではない人の声は心地がいい。 僕は、簡単な相槌を打ちながら、なんとなく聞いていた。 「健太さん、私ね、こんなのを見つけたのよ。考えてみたらどうかと思って。」 話しの切れ間を埋めるように、美穂子ちゃんが小冊子を出しながら言った。 受け取って、表紙の文字を読んだ。
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