菅原雄太の場合

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田中家は、8階建ての社宅の一室にある。 一流企業の社宅とはいえ、外観は古さが漂う団地とほとんど変わらない。 エレベーターに乗りこみ、4を押した。 音もなくドビラは閉まり、滑るように上に上がっていく。 田中家は、エレベーターから遠かった。 410、409、408、407・・部屋番号を確認しながら通路を歩いた。 田中家が近づく度に緊張が増していく。 402、ついに到着した。 表札は日焼けしていて、たくわん色に黄ばんでいた。 田中と書いてある文字もあまりに雑な文字だった。 ここで間違いなさそうだ。 一呼吸してから、インターフォンを押した。 涼やかな音でなる呼び鈴が、外に立つ菅原の耳にも届いた。 ほどなく年配の女性が玄関のドアを開けた。 チェーンが掛かっているドアは、20センチの隙間しか開かない。 「はい、どちら様?」 「わたくしは、色眼鏡企画部の菅原と申します。今日は田中様にお願いがございまして、お伺いいたしました。 あの、すみません。わたくしどもに、康太さんの視覚部分を譲っていただけないでしょうか?」 菅原は、失礼がないように細心の注意を払いながら要件を伝えた。 一度、ドアが閉まり、チェーンを外す音が聞こえて、菅原は少し安堵した。 もしかしたら、門前払いを食らうかもしれないと思っていたからだ。 大きく扉が開き、上品な雰囲気を持ち合わせた60歳くらいの女性が立っていた。 「康太は、盲目でした。ふざけています?不愉快です。帰ってください。」 一切目を合わせる事なく、伏し目がちに答えた。 まだ、心の傷は癒えていませんと訴えてくるようだった。 最愛の息子を不慮の事故で亡くしている。当然と言えば当然だ。 それから、扉を勢いよく閉めようとした。 菅原も必死で食い下がる。 逃すまいと気持ちが前のめりになり、思わず閉まりかけたドアに手を掛けた。 「どうか、私どもの話を聞いてください。康太さんが生きていた証、欲しくないですか?」 女性は、閉めるドアの力が抜けた。 一拍の間を開けて、女性が答えた。 「どういう意味ですか?」 菅原が映っている目が、不安に揺らぐ。 目にうっすらと涙が溜まり始めていた。 この人は、息子であった康太をこうして今でも心から愛してる。 何も言わなくても、はっきりと感じ取る事が出来た。 「盲目でも、脳の中には、視覚を司る部位は無傷で残っています。 だから、故人の目を具体化した色眼鏡が作れる。それを証明したいのです。 どんな世界が見えるのか、私たちにも未知数です。 でも、康太さんの脳には途方もない潜在能力が隠されています。 私たちもそれを信じています。」 「立ち話もなんですから。」 女性は、菅原を家の中に招き入れた。
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