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19時40分
菅原は田中家がある社宅前に到着していた。
どこからともなくカレーの匂いや焼き魚の匂いがしてくる。
どの部屋もカーテンの隙間を狙うように細い光が外にこぼれていた。
この光の下では、幸せな団らんがあるんだろうな、そんな想像をしていた。
上司の相馬とは、この社宅の前で待ち合わせだ。
待ち合わせの時間まで20分ほど。相馬の姿はまだない。
それにしても、今日は寒い。
おそらく、雨でも降ってこようものなら雪に変わるだろう。
底冷えする寒さは、足の感覚を奪う。
ただ立っているだけなのに、刺すような痛みを感じてくる。
じっとしていられず、足踏みを何度となく繰り返した。
19時55分
「すまん、遅くなってしまったかな?」
息を切らせた相馬がやって来た。相馬は慌てて時間を確認する。
「部長、大丈夫です。行きましょう。」
相馬は安心したような顔を見せたが、すぐに決戦にいく兵士の顔をしていた。その顔を見た菅原にも気合が入った。田中康太の視覚を手に入れられるかどうか、今日で決まる。社宅の4階へ向かって歩き出した。
田中家の自宅のチャイムを鳴らした。
玄関のドアから大きな音がして、ドアがゆっくりと開いた。
「色眼鏡屋企画部の菅原です。こちらは上司の相馬です。」
「そうですか、こんなところで立ち話もなんですから、お入りください。」
見るからに人のよさそうな旦那さんが、応対に現れて、家に招き入れた。
リビングは相変わらず、物で溢れていた。畳の上に丸い絨毯がひかれ、その上に置かれた真っ黒の四角いテーブル。
奥さんは、リビングの隅で我々に挨拶をし、旦那さんはテーブルの前に座るよう手で合図を送った。
腰を下ろす前に旦那様にまず名刺を渡した。
菅原です、軽く頭を下げ、テーブルの前に座った。
相馬も、名刺を渡し丁寧に頭を下げ、菅原の横に座った。
「楽にしてください。」
旦那さんは菅原と相馬の名刺をテーブルの上に並べるように置いて、マジマジと見つめて言った。
奥さんは話し合いには参加せず、あくまでもリビングの隅で話に耳を傾けるスタンスでいるらしかった。
「ありがとうございます。今日は、冷えますよね。雨でも降って来たら雪になりそうですよね。」
軽く天気の話をして、場に馴染むように心掛けた。
「そうですね。」
旦那さんは、名刺から目を離さずに簡単な相槌をする。
もしかして、旦那さんは機嫌が悪いのかと思う程、そっけない。
急に空気が重たく感じた。
菅原は敏感に感じて、緊張が背中を走った。
「来てもらって、こう言うのもなんですがね、康太は全盲だったんです。
ご存知ですよね。それなのに、なぜ康太なのか、お聞かせください。」
旦那さんは、無駄な時間を割くつもりはないようだ。
単刀直入に切り出した。
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