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「正直に申します。
全盲の方の脳は、私たちの脳と比べると、処理している情報量が格段に多いのです。一を聞いて十を知る。それが出来る脳です。
近い将来、全盲の方の脳は研究の中心になっていくと思います。
とてつもない可能性に満ちていることが分かったのです。
色眼鏡に限って言えば、全盲の方でも脳の中にある視覚をつかさどる部位は、損傷なく残っています。
全盲の原因は、眼球の異常であることがほとんどですから、理論的には色眼鏡が作れます。
人の視覚は、その人が持つ意思や思考、趣味嗜好に大きく左右されています。見たくない物は、目に入らなかったり、好きな物ははっきり見えたりしています。ですから、同じ景色を見ても、色の濃淡や、視点の置き方が変わり、見ている人によって見え方が違います。
全盲の方の視覚は、生きている間は存在していなかったのですから、意思や思考、趣味嗜好には一切影響を受けることなく、物を見せてくれる可能性があります。カメラのような視覚といえば分かりやすいかもしれませんね。
つまり、完璧な視覚だということです。全体像から細部まで、1から10まで見える視覚は先天性全盲者だけが持つ、特別な視覚です。」
「そうですか。康太の視覚が・・なんといいますか・・不思議なものですね。康太が生きている間、すれ違うほとんどの人に、異様な目を向けられてきました。
康太はもちろん、盲目でしたから、そのこと自体には少しも気が付かずに生きていたんですよ。その康太の中に眠る完璧な視覚。皮肉ですよね・・。
私たちは、今でも思っているんですよ。
康太は見えなかったからこそ、自由に生きていけたんだとね。
今更、康太に見せたいものなんてあるのでしょうか?
そう考えてしまうんです。」
田中さんの旦那さんのとまどいが初めて見えた気がした。
田中さんはまだ迷っているのだ。菅原はそう読み取った。
ここで、上司の相馬が口を開いた。
「お気持ち、お察しいたします。でも、この色眼鏡がもたらす意味は、あまりにもデカいのではないかと、私は考えます。
“先入観”って言葉、よく聞きますよね。
どんな人でも、何度か経験すると生まれてしまう概念です。これのおかげで、物事を見誤ったり、自由な発想を阻害したりする。康太さんの視覚は、これを払拭する力になりえると思います。完全な視覚とはそういうことだと考えます。その存在価値はあまりに大きい。
医者が病名を判断する時や手術する時、先入観で見誤ることがなくなると、どれだけの人々を救えるでしょうか?
警察の捜査中、先入観がなくなれば、初動捜査の失敗もなくなると思いませんか?検挙率も更に上がるはずです。
正直申しまして、私たちも康太さんの視覚がどんな世界を見せてくれるのかは、分かりません。何も映してはくれないかもしれません。
それでも、康太さんの視覚は、大きな可能性に満ちています。
我々にチャンスを頂けませんか?お願いします。
この研究に掛けているんです。」
上司の相馬は切実に訴える。選挙前日の候補者のような必死さを感じた。
落としの相馬、誰が言い出したかは知らないが、確かにその通りだと思った。
旦那さんは、少し離れた場所に座る奥さんに目くばせをした。
奥さんは、大きく頷いた。
どうやら、相馬の言葉は、田中夫妻の背中を強く押したようだ。
「分かりました。あなた方に康太の視覚を譲ります。ですが、一つ、約束していただきたい。」
「どんな事でしょうか?」
菅原が、恐る恐る聞き返した。
「必ず、世の中の役立つモノに変えていただきたい。」
「分かりました。ご決断、ありがとうございました。」
菅原は、嬉しいというより身が引きまる思いがした。
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