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出産を終え体力を使い果たしたにもかかわらず、若い女は必死の形相で、産婆から自分の赤子を取り返そうと躍起になっている。その拍子に右手から小さな石がポロリと零れ落ちた。安産に効くと伝えられる《子石》と呼ばれるものだった。
「よさんけえ! これじゃ、おろぬくことができんよ」
赤子を母親に渡そうとしない。産婆は経験上知っていた。
ひとたび、母が赤子を抱けば愛情が沸き起こる。産婆の手によって殺される様を黙って見過ごせなくなるのだ。伸びる母親の手を懸命に払いのけながら、狭い産屋を見回す。
産屋の中は細い蝋燭が二本ばかり、ひどく薄暗い。
片隅にはもう一人……
居た。
老婆がじっと座って居た。腰元に使い古された一本の木杖が転がっている。
腰から酷く曲がった背中。
白髪の頭に、皴だらけの顔。
閉じていた瞼がゆっくりと開く。ギロリ、眼が鋭く光った。
「お鶴。いいからかんよ! 産婆を困らせたらならねえ」
老婆は出産を終えたばかりの若い女を叱りつける。唾が飛んだ。
「おめえだって、おろぬくって、よう分かっていたはずだろが!」
「婆様……だけんど」
老婆の声に圧されてか、お鶴と呼ばれた若い女は一瞬たじろぐ。お構いなく老婆は続けた。
「だけんど、じゃねえ。村でもう決まったことだべえ。破るはならねえ」
時は、天保十一年(一八四○年)。
全国的に渡って凶作をもたらした、天保の飢饉がようやく終息して間もない頃である。
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