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「うわ、地下だったから気がつかなかったね」
その横で聡美は勢いよく傘を広げる。すると光輝は左手を広げ「ありがとう」と笑みを見せた。自分が差す、という意思表示だろう。聡美はそっと傘を光輝の手に委ねた。
次第に風が強まる。台風は思ったより早い速度で近づいてきているのかもしれない。
一つの傘の中で、時折腕が触れ合う。
今この腕にしがみついたらどうなるだろう。抱きついたらどうなるだろう。唇を重ねたらどうなるだろう。
自分には夫がいて、光輝には彼女がいる。そんな現実を退けて、聡美は想像を膨らませていた。
どうかしてる。でも。
どうせ日本を離れてしまうんだから、最後くらいいいじゃない――。
まだ息子が生まれて間もない頃、聡美の夫は浮気をした。でも、これからのことを考えたら離婚に踏み切る勇気は持てず、結局許しはしたのだが、心の奥にある不信感は今も消えないままだった。
それ以来ずっと、そういう機会を待っていた。自分だって、と。
光輝とならそうなってもいい。共に働いた三年の間で、聡美の思いは次第に強くなっていった。
心拍数が上がり、頬が紅潮する。
交差点を左に曲がり、赤信号に歩みを止められる。視線を真正面に戻すと、傘と男の子の壁画が目に入ってきた。
我に返る。
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