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前日譚/青嵐の階(きざはし)
「──貫井先生」
六時間目の授業をつつがなく終えて職員室に戻ると、待ち構えていたように古文教師の八神が声を掛けてきた。五十がらみのベテラン教師である彼の苦りきった表情から、次に出てくる言葉がおのずと予見されて、貫井は思わず眉をひそめた。
「……またですか」
「ええ、萱島(かやしま)千景。今日も授業中、机にずっと伏せたままで。まあ、この陽気ですし、ほかに居眠りしている生徒もいるにはいましたがね、彼はほぼ毎回だ。でも、あれだけ堂々とされると、いっそ清々しささえ覚えるから不思議なものですよ。彼にはさぞや、私の授業がつまらなく感じるんでしょう」
予想にたがわず、たっぷりと皮肉混じりに応酬され、くだんの生徒をクラス担任として受け持つ貫井としては、すみませんとただ謝罪することしかできない。そんな殊勝な態度が功を奏したのか、それとも不満を口に出したことでわずかでも溜飲が下がったのか、八神の口許にふと同情めいた苦笑が浮かんだ。
「……貫井先生も大変ですな。彼の場合、なまじ定期考査での成績がいいだけに、いろいろやりにくいでしょう」
「いえ、萱島には再度、指導を徹底します。それで、彼は今──」
「ああ、とりあえずは私の方からホームルームが終わったら生徒指導室に、と指示は出しておきましたけど……もしかして余計なお世話でしたかね」
「いえ、ありがとうございます。そうしましたら、先にホームルームを終わらせてきます」
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