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そうでも言わないと、ほかの生徒の手前、示しが付きませんでしたから、となおも言い募る八神にもう一度謝罪の意を表して、貫井は自分に与えられた窓際奥の席に足早に向かう。机のうえに持っていた教材を放り投げるようにして置くと、代わりに出席簿を手に、生徒たちがたむろする騒がしい廊下へと踵を返した。
本日のカリキュラムがすべて終了したことによる安堵からか、すれ違う生徒たちの周囲には早くも弛緩した空気が漂っている。
開け放たれた窓からは、この季節特有の湿度の低いさわやかな風が入り込んでくる。しかし、青嵐(せいらん)とも薫風(くんぷう)とも呼びならわされるその風物詩を心地よいと感じる間もなく、貫井は先程から胸を煩わせている奇妙な感情にかすかに眉根を寄せた。
教室に入ると、くだんの生徒が座る窓際のいちばん後ろの席に目をやる。担任の登場に、それまで談笑していた輪から慌てて席に戻る生徒たちのすき間、こちらをまっすぐに見つめる強い視線とかち合った。
「──起立。礼──」
クラス委員の掛け声とともに、多少のばらつきはあれど生徒三十八人がいっせいに頭を下げる。その間だけほんのわずか逸らされる目線に、貫井は知らず詰めていた息をそっと吐き出した。
「──着席」
けれど、姿勢を正すと同時に、ふたたび自分がいる教壇に向けられた千景の眼差しに、あくまで無表情を装うも、内心、落ち着かない気分に襲われる。
……思えば、いつからだったのだろう。
美しい意思のひかりを宿した彼の瞳が、いつもひたむきに自分を見つめていることに気付いたのは。
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