戸惑い

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戸惑い

世の中には知らないことが沢山ある。知らなければ知らないまま暮らしていけることも沢山ある。 だけど、好きな人のこととなればそれは違う。なんだって知りたいし、あわよくばその一部になりたいと思う。 約束を忘れた奴が何を言ってるんだと思われようと忘れたことを誠意を持って謝りたい。叱られて呆れられても知ったかぶりな態度で墓穴は掘りたくない。 不動産屋に鍵を渡し、降りた駅から電車に乗る。ローカル線のこの電車は人もまばらで有に座ることができ腰を下ろした。 行きのあのソワソワしたのはなんだったのか、会わないようにこっそり帰る予定だったのに、その人に手を繋がれ隣に座っている。 流れる景色をぼんやり見ながら、手を繋いで何故一緒に電車に乗って、どこにいくつもりなんだろうかと漠然と考える。 あの頃とは違う大人になった洸が、あの頃のように手を繋いでくれている。 過去の記憶と現在の状況が行き来しながら、手から伝わる温もりから喜びと不安が押し寄せてくる。 この手はいつまで繋いでいられるんだろう。あの頃のように何処かに連れて行ってくれる嬉しさじゃない。この先にはまた別れがあって、あの最後の日を思い出して胸が苦しくなる。乗れば降りなくてはいけない。じゃあまたな。って別れることができるんだろうか。 「洸…どこで降りるの?」 降りる場所は僕とは違う駅。車内アナウンスが流れ繋いだ手に力を込める。聞きたくないけど聞かないといけない。ここまでほとんど口も聞いていない、なにか話さなければ、今度こそ最後になるかもしれない。じゃあまたな…って笑って別れることができるんだろうか。 今この状況で、笑って洸と別れるなんて到底出来るわけがないし、その『また』は、いつになるんだろうかと想いを募らせる日を続ける自信がある。逃げていたはずなのにこの繋がれた手を離したくて強く握りしめた。 「…同じ…ところで降りる…」 「え?」 慌てて 洸を見れば、じんわり湿ってきた手のひらと、ガシガシと頭を掻きながら横目で僕を見てまた視線を逸らす洸。あの頃の面影を残した横顔を見つめながら洸の言葉を反芻する。 「…近くに…住んでる…」 耳まで赤く染めた洸はゆっくり僕の方を向き、真剣な顔で話し始めた。
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