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ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、シックス、セブン、エイト。
後輩のダンスフレーズのカウントに、あいつの声が脳内でかぶさってくる。思い出したくもない、あの声。
「わり、もう奢る金なくなっちった」
「うそつけ、あんた金持ちじゃんか」
瀬尾と、クラスでも中心の女子がアイスを舐めながら発するくすくす笑いが耳朶を打つ。
今の私の目には、自分が履いている制服のスカートのプリーツの裾とローファーと、地面だけが写っている。知らない土地の、綺麗な赤レンガで塗装された小道の地面。
その割れ目の模様を目でなぞり、私は心の中で自分の舌をかみ切りたくてきりきりしていた。
「いやほんと、わりいな早川」
計画なしに使うからじゃんよ。うっせえな! 女子の笑い声と、瀬尾のケタケタ声が耳にうるさくて、夏に響くセミの声みたいだ。頭がぐるぐるする。
ふいに、瀬尾が隣で通り過ぎざま、耳元で囁いた。
――お前になんか奢ってやるわけないだろ、デブのメガネザル。
そう言い放った横顔は憎たらしいほど、羨ましくて死にそうなほど、綺麗だった。顔もあげられなかったから一瞬しか見れなかったけれど、普段私たちが生活している土地から離れたその場所で、その男は残酷なほど綺麗な顔で、残酷なほど軽いトーンで、そう言った。
私が人の目をことさらに見れなくなったのは、その日からだった。
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