弐ノ宮の沼

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「父親が何者かは知らぬが、もうすんだ話だ。そうそうに立ち去れ」  しっしっと、まるで野良犬を追い払うような真似をされ、さらにカチンときたが、深く息をして気を静めた。 「先程この沼に飛び込んだと申されましたが、ほれあの通りそれほど深くはありませぬ。ここで心中は出来ぬのではありませぬか」 さくら姫が今さっき投げた枯れ枝を指差す。  役人達は、面倒くさい奴だなという顔をして、 さくら姫に近づく。  危険を感じたさくら姫は腰の小太刀に手をかける。役人達も刀に手をかけながらさらに近づいてきた。間合いにはいりかけたその時、 「その方ら何をしている」  またもや森の方からやってくる者達がいた。装束から察するに禰宜らしき者がふたりとまたもや黒羽織の侍がひとり──なんと寺社奉行の眞金泰成であった。 「眞金──様」 さくら姫の声に眞金も何事かと顔を見て、相手が誰か気づく。 「ん、──あ、さ……」 「さらでございます。いつぞやはお世話になりました。」  そう言いながらこっちに来いと目配せをする。  眞金は嫌そうな顔をするものの、歩を進め勘定奉行達を越えてさくら姫のそばに来て小声で話しかける。 「何をしているのです、さくら様」 「ちょっと調べごとにな。眞金はどうしてここに」 「宮司の(いつき)と打ち合わせです。そんなことより今はどういう状況なんです」 「調べものをしてたら、そいつ等に咎められたのじゃ。面倒くさいから何とかしてくれぬか」 「嫌でございます。御自分で何とかしてくださいませ」 「なんじゃ、つれない奴じゃな」 「当たり前でございます。いくら殿の姫君とはいえ知り合ったばかりのじゃじゃ馬ですぞ。そんな義理はございませぬ」 「主もなかなかの心臓じゃの、わらわを姫と知っての言葉とは思えんぞ」  まじまじと眞金の顔を見る。  きりりとした顔立ちに優しそうだが奥に何かを宿した目、鼻筋も通っていて口もとも引き締まっていて、なかなかの美形である。  顔はともかく人として眞金泰成という人物に興味を持った。 「何をこそこそ話している。そこもとは何者だ」  苛ついた勘定奉行の者が噛みついてくる。眞金はやれやれと思いながらもやさしく応える。 「すまぬな。寺社奉行の眞金という者だ。こっちは知り合いなので放してやってくれぬか」 「寺社奉行の者か。ならば関わりなかろう、こちらに引き渡してもらおうか」  おやとさくら姫は思う。先程まで追い払おうとしてたのに捕まえようとしてきたのだ。何故だろうとみてみると、どうやら後ろの禰宜に遠慮しているらしい。さくら姫は小声で眞金に訊く。 「眞金、勘定奉行と寺社奉行は折り合いが悪いのか」 「そんな事はないですよ。我らが折り合い悪いと民百姓が困りますので、勘定奉行の稲積とはうまくやってます」  勘定奉行所は領内の年貢を集めるのが主な仕事であるが、領内にある大小の村々の揉め事を治めることもある。民百姓が働けるようにしないと年貢に影響するからだ。  そして村々には村社という鎮守と民百姓の人別帳を記している寺がある。寺の住職は村人の良き相談相手であり、神社の神主は疫病退散、豊穣祈願などで村人と身近い立場なのだ。ゆえに勘定方と寺社方は村人と年貢のために良き間柄であろうとする。 「となると同心か与力あたりで何かあるのかな」 「何のことです」  眞金が怪訝な顔をしていると、またもやどこかの黒羽織の侍がふたり、さくら姫が来た方から人がやって来た。 「其方等、何をしている」  走ってさくら姫達のところに辿り着くと、とりあえず息をして整えそれから声をかけた。 「ひ、いや、さく、いや、さら殿でございますか」 さくら姫が羽織紐を確認すると黒色であった。 「爺の手の者か」 黒羽織は静かに頷く。 追っ手か。どうやらここまでのようだなと、さくら姫は思った。 「爺にはどう言われておる」 「見つけ次第、城に連れ戻すように言われています」 「わかった」  黒紐に捕まった以上逃げ回るのは得策ではない。追いつかれる前にとりあえず知りたいものを解ったので、ここは大人しく戻るを選ぶことにした。  さくら姫が黒紐ふたりと戻ろうとすると、勘定方の役人がとがめる。 「何処へ行く、まだ話しは終わってないぞ」  今さっき、帰れと言ったばかりなのは其方だろうが。帰ろうとすると帰るなとは何事だ。  戻る気になった さくら姫はもう遠慮しない。無視して足を進めた。黒紐のふたりも後についていく。  さくら姫だけではなく、黒紐達にも無視されたのが気に障ったのだろう。勘定方は歩を進め、眞金を追い越すと黒紐のひとりの肩を掴んだ。  その途端、勘定方は宙を舞い地面に叩きつけられる。 「き、貴様ら、何をする」  残りのひとりが刀に手をかける。しかし黒紐達に睨まれると、その凄味に身動きできなくなってしまった。 「やめておけ、この者達はその方らに太刀打ちできる者ではないぞ」  だからこそ大人しく帰るのだと、さくら姫は思った。
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