弐ノ宮の平助

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弐ノ宮の平助

「そうかそうか、平蔵もそんな歳になったか」  ──夜もずいぶんと更けていた。弐ノ宮神社の書物奉行詰所では蝋燭の灯りの中、着流し姿の平助と羽織袴姿の津入江が酒盛りをしていた。  何故そのような格好でいるかというと、平助の話を聞いた途端に津入江は帰り支度をしはじめ出ていこうとしたのだ。それを平助は慌てて押し留める。 「津入江様、引き継ぎがまだでございます。明日にでもご案内していただかないと困ります」 「そんなもん平蔵が適当にやっておけ。ここの仕事なんぞ有りわせぬ、ただ日長一日ぼぉぅっとしておるだけじゃ。こんなところに居たくもない、はよう出ていきたいのじゃ」 「駄目ですってば、せめて引き継ぎまで居てください」 「では今から参ろう、とっとと引き継ぎをしてしまおう」 「もう日が暮れますし、そのような酔うた姿ではいけませぬ、間違いなく戻れるのですからひと晩だけお待ちください。手土産の酒と肴もありますから」  手土産があると聞いてやっと落ち着いた津入江に、酒盛りの仕度を平助がして酌をしたところでようやく気を良くし今に至るのであった。 「それにしてもなあ……、やはり姫様に関わるものではないな。平蔵もまだ若いのにこんなところの勤めになるとはなぁ」 「そんなにひどいのですか」  津入江の茶碗に徳利の酒を注ぎながら訊ねる。 「ひどいなんてもんじゃない、奴等は、宮司どもは武士を恨んでおるからな。ここでは格好の憂さ晴らしの餌食だ」 津入江は吐き捨てるように言う。 「日の本には八百(やおろず)八百の神々がおわすが、その中でも幕府は木祭神、火誠神、土祭神、金祭神、水祭神の五柱を奉るように決めておる。ゆえにどの藩も少なくとも五つの領があり、それぞれの神々を奉っておる」 津入江は、くいっと酒をあおると茶碗を差し出す。すかさず平助は酒を注ぐ。 「尾張藩は五つの領があり、それぞれの神々を奉っておる。ここ白邸領は木祭神の樹木の神を奉っておる。しかしそれは近頃の出来事、もともと弐ノ宮は別の神を奉っておったのだ。往古は京の都にある神朝廷からの国司がやって来て、壱ノ宮、弐ノ宮、参ノ宮と土地神に赴任の挨拶をするものだった」 「お詳しいですね」 「へっ、高慢ちきな宮司が毎度毎度言うので覚えてしまったわ。[最後の大いくさ]のあと土地神を抑えてあたらしく来たのが木火土金水の五柱、宮司は木祭祀家の血筋で(いつき)家の総領だと。だから同心風情とは格が違うんだとよ」 ふたたび吐き捨てるように言うと、また酒をあおった。 「樹家は木祀家に近い血筋だから、本来ならお前のような同心風情とは口もきけない立場なんだぞと何度言われたことか」 「そんな偉い人がなんでここにいるんですか」 「なにを言う、尾張藩は護邸大将軍の直系である尾張護邸家が治める地ではないか。格でいえば天下では二番目の格だぞ」 「へえ、そうだったんだ。そんならそう悪くないじゃないですか」 「宮司が気に入らんのはそこではない、武士が世を治めておるのがそもそも気に入らんのだ。この世は神々が創られた世、ゆえに神々を崇め通じる神職である我々の方が偉いのに、刀を振り回す野蛮な武士が威張っているのが気に入らんのだと」 津入江は愚痴を言う度に酒をあおるから、だんだん目つきが怪しくなってくる。平助はそれを気づかぬ顔で酌をする。 「それがわかりやすいのが、ここ白邸領だ。他所は壱ノ宮、参ノ宮などの数字の領なのに、ここは弐ノ宮領とは誰も言わず、白邸領と呼ぶだろう」 「ああ、そうですね。俺いらも普通に言ってます」 「ここでは弐ノ宮と言わないといかんぞ、でないと返事もしてくれなくなる」  確かにそうなのだ。白邸領というのは俗称で、公式には弐ノ宮領というのが正しい。  しかし、弐ノ宮領には白邸城というとても目立つものがあり、ましてやそこの城下町に多くの人が住めば、ここは白邸領なんだと思い込むのも無理はない。  さらにいえば、他の領の神社はわかりやすい所に建っているが、樹木の神を祀る弐ノ宮は森の中にあるので人々は下手すれば神社の存在すら知らない者もいるくらいなのだ。宮司の樹が気に入らないのも当然だろう。 「そういえば平助、瀬鳴弾正(との)と壱ノ宮領の領主が姉弟(してい)なのは知っているか」 「ええまあ」  知ってるも何も、平助たちをさくら姫の遊び相手に取り立ててくれた人である。 「それも宮司には気に入らんのだ。姉は女でありながら宮司であり領主であるし、弟は自分の領で自分をないがしろにしている。だから宮司は武士というよりは、瀬鳴家を嫌っているというべきかな」 「ああ、そういうことなんですか」 「だからな」 津入江の目が怪しく光った。 「その鬱憤を神社勤めの武士にぶつけおるのだ、皆がここにくるのが嫌がるわけが分かるだろう。そんな所に何年も居てみろ、仕事もなく嫌がらせばかり受けて……、わしは……、わしは……、わしはあああぁぁぁ」 そう絶叫すると、津入江はばたりと倒れてしまった。  平助は息をしているのを確認すると、酒と肴を静かに片付けを始める。 「やれやれ、やっと酔い潰れてくれたか」
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