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弐ノ宮の闇
「たしか二十日は過ぎていると思います」
「もうそんなになるかぇ。聞いておるぞぇ百姓どもとよろしくやっておるとな。ふん、さすが野蛮な侍風情よ、百姓と汗まみれ垢まみれ泥まみれの方が落ち着くかぇ」
「その通りでございます」
平伏したまま逆らわず返事をすると、樹は所詮は侍風情かとさらに見下す。
「ふん、これからも塵屑をありがたくもらうが良いわぇ」
そこまで言うと樹は黙りこくる。しかし席は立たない。平助はどうしたのかと思いながら動けずにいる。
「……その塵屑に見慣れぬ物があったかぇ」
おもむろに探るように言った樹の言葉に、何を言っているのだろうときょとんとした。
「いえ……、そのような物は……、ございませぬ」
「ほんとうかぇ」
「は」
「おもてをあげ、こちらを見ぃ」
言われた通りにすると、上座にて胡座で座り汚いものでも見る様な顔をした樹と目が合う。
「もう一度訊くが、見ておらぬのだなぇ」
「はい、ございませぬ」
疑いの眼でじろじろと見られたが、ここまで探られるようなことには心当たりは無かった。というか、おそらくあの女物の着物のことだろうと当たりはつけている。
──女物があるのに女がいない。樹の住処は警戒が厳しい。という事は、神職でありながら樹は女色に溺れているので隠しているのだろう。それを知られたくないんだな、よし、このまま知らぬ存ぜぬで押し通そう──
樹はしばらく平助の目をじっと見ていたが、もうよいぞぇと言ってふたたび平伏させる。
「近頃、鼠がちょろちょろしておってなぁ」
「はあ」
「なにゆえかと調べてみたら、どうやら禰宜のひとりがうっかり鼠に餌をやったらしいぞぇ。それでちょろちょろしはじめたようだわぇ」
樹の話を聞きながら、何が言いたいのだろうと首をかしげる。
──鼠とは俺らのことかな。でも禰宜に餌なんかもらってないぞ。ということは本物の鼠のことなのかな──
「そのような粗相は普段なら笑って赦してやるのだがな。麿は心が広いゆえのぅ。じゃがのぅ、鼠がちょろちょろちょろちょろちょろちょろちょろちょろしておると流石に堪忍できなくてのぅ、暇をくれてやったわぇ」
「はぁ」
どういうことだろうとふたたび首をかしげる。
──禰宜の人数は把握している。昨夜忍び込んだ時も皆んないた。暇をもらった奴などいなかったはずだけどな──
「これ以上鼠がちょろちょろする様なら退治せねばならぬのが、それもまた面倒でな。大人しくしているように言うておるのじゃぇ」
その言葉を聞いて、やはり鼠とは俺らの事だったかとわかったが、すでに平伏して顔を見せていなかったおかけで、動揺した顔を見られなくてすんだのだった。
「下がるがよい」
それだけ言うと宮司は出ていき、しばらくしてから平助も下がって小屋へともどっていく。
※ ※ ※ ※ ※
小屋の中で胡座をかいて座ると目を閉じ、あらためて宮司の樹について覚えていることを暗唱する。
──樹九之地、いつきくのちは京にある神朝廷を護る五祭祀家のひとつ木祭祀家の分家生まれ、幼い頃から才覚に秀で、その実力は本家に等しいという。
だが性格に難有りで、人を人とも思わぬ見下した言動と態度により諍いが絶えない。それゆえか京から離れ、ここ尾張藩の弐ノ宮にくる。
ひどい女嫌いで、雌猫ですら毛嫌いするという。御告を受ける巫女も必要無しと自らがその役目をしているという──
「ふうむ、変だな。巫女じゃなくても神様からの御告って受けられるのかな」
さくら姫のお守役をはじめたばかりの頃、壱ノ宮の巫女達と話すことがあり、その時聞いたのが[御告は処女でなければ受けられない]だった。子供すぎてあのときはわからなかったが、それなりに育ってようやく意味を知った。
とにかく樹宮司が女嫌いなのは噂として知っているだけで、真偽を確かめたことはない。ずっと女っ気が無い神社だったので気にしてなかったが、これは確かめた方がいいなと思い、平助はほとぼりの冷めた頃にまた忍び込もうと決めたのだった。
※ ※ ※ ※ ※
ところがその夜、思いがけない事がおきた。小屋の中で休んでいたところ、人の気配を察して平助は身構える。そして聞き耳を立てていると、女の子の泣き声が近寄ってくるのだ。
用心しながら外の様子をうかがうと、月明かりのなかに年の頃は十ばかりの少女が泣きながら歩いてくる。さらには数人の足音が小走りでやってくる。
直感的に匿わなければと思い、平助は小屋から飛び出ると少女の口をふさいで抱え、すぐさま小屋に戻る。
「大丈夫、驚かないでじっとしていてね。俺らは怖い人じゃないからね」
怯えて固まる少女に優しく話しかけるが、少女はどうしていいかわからず返事をしない。
外の足音が通り過ぎるのを待って、もういいかなとようやく力を抜く。
「俺らは平助っていうの。名前はなぁに」
ささやきながら押さえていた手を緩め、耳を口元にもっていくと、こわごわと「……たえ…」とこたえる。
「たえちゃんね。どうしてこんなところで泣いてたの」
「……わからない」
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