7.星影に結ぶ珠

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 * *  ヴィーナ湖の南側を取り囲むように連なる山々。その中腹にあるウィンザールの別邸は湖を臨むように建てられている。つまり本館の裏側にあるのは山の斜面、広がるのは鬱蒼と茂る森である。  街路樹のごとく連なる木立と建物の間をふたりは足早に歩いていた。  楽の音はいつしか聞こえなくなった。主会場からどんどん離れていくセイルに不安がないと言えば嘘になる。さっきの説明で彼が本当に理解したのかいまいち信じきれないし。  とはいえセイルの足取りに迷いはない。グラス片手に黙々と歩いていくその背をアデレードは追いかけるしかない。 「ねえ──」 「お前、場所がわかったらすぐ戻れよな」 「……言われなくてもそうするつもりよ。そうじゃなくて、そのジュースのことなんだけど」  むっと眉間に力を籠めながら彼が手にしたグラスを指した。きょとんと瞬いたセイルはグラスを一瞥し、話の続きを目で促してくる。 「それ、桃の果汁よね。甘いのは好きじゃないって言ってたのは誰?」 「……あー。いいんだよ、これで」 「よくないわよ、全然飲んでないじゃない。貸して、違うのを取ってきてあげる」 「いいって。ほら、あそこから行ける」  強めに吐かれた声が、戻りかけたアデレードの足を止めた。彼の指差す方向に視線を投げると木立が途切れている箇所がある。その薄暗い分かれ道は獣道のように狭くて細くて、もしここにいるのが自分ひとりだったならこのあと取る行動は間違いなく〝まわれ右〟だ。  けれど薄気味悪く見えたのは始めだけだった。大きくカーブした小径(こみち)を道なりに進むと視界はすぐに開けた。  辿り着いたのは猫の額ほどの広場。片側は崖で、そのすぐ下は金色に輝くヴィーナ湖である。(せば)まっていく広場の奥には湖と山裾に挟まれるように小さなガゼボが建っていた。  足は自然と止まった。一直線に向かうセイルの肩越しに人影が見える。逆光になってよくわからないけれど──目を眇めていると当人が立ち上がった。薄地を重ねたハイウエストのドレスが夕風にひらめいた。 「セイルさん」  小鳥の囀りのように透き通った声が耳朶を打つ。 「座ってろって」 「でも……」 「場所が知りたいって言うから案内してやっただけ」  ガゼボの柱をセイルが軽くノックした。小首を傾げ何か考えていたふうな小柄な影はやがて彼の元に歩み寄った。揃って振り返ったふたりの姿にアデレードの胸が跳ねた。眩しい夕陽をちょうどセイルが遮る形になり、ようやく()()の姿をしっかり捉えられた。  端的に言って〝美少女〟だった。  薄い金色の髪はひとつにまとめているおかげで顔の小ささが際立っている。つぶらな瞳に覆いかぶさる長い睫毛やくっきりと線を描く二重まぶた、桜の花びらのような小さな唇──子どもの頃に憧れたおとぎ話のお姫さまが確かこんなふうではなかったか。あるいは絵本に登場する精霊が。髪も目も口も何もかも、全てがアデレードの持ち得ないもの。  セイルは結んだ拳の親指でアデレードを指した。 「こいつは幼馴染のアデレード。で、こっちは……前に縁談の話があっただろ。あれの、」 「縁談!?」  前半部分は少女に向けて、後半部分はアデレードに向かって投げられた説明を、アデレードは自身の裏返った声で遮った。  セイルの縁談といえば忘れたくても忘れられない一件だ。早とちりからウィルトールの元に押しかけ、かなり恥ずかしい思いをした。 「でもセイル、あの話は──」  なくなったんじゃなかったの、そう続けようとして口を噤む。そわそわとどこか居心地悪そうな様子を見せる少女の手前、なんとなく口にしづらい。  ──(くだん)の縁談には続きがあった。  というのも最初の顔合わせでセイルが()()()()らしい。その何かがなんだったのか、人伝(ひとづて)に聞いただけのアデレードには最後までわからずじまいだが、結局は破談の運びとなり事情説明のために何故かウィルトールが駆り出され……、張り切って準備したお茶会は急遽なくなってしまったのだ。本当にいい迷惑だった。  むくむくと湧いてきた不満の気持ちもこめて()めつけると、向こうからも苦虫を噛み潰したような顔が返ってきた。 「……事情が変わったんだよ」 「なによそれ。どういうこと?」 「どうだっていいだろ」  いつになく不機嫌そうなセイルの隣に視線を移すと少女と視線がぶつかった。彼女は両手を前で揃え、あたふたと頭を下げた。 「カレンフェルテと言います。あの、どうぞよろしくお願いします」 「え、あっ、こちらこそ……」  ついつられて同じように頭を下げる。顔を上げれば数段高い位置にいるはずの彼女の目線の高さはちょうど同じだ。再び目が合い、とりあえず口角を上げてみれば少女の方もはにかみながら微笑を浮かべた。 「それでどうなんだよ、お前の言うガゼボってこれ?」 「多分……。ガゼボって他にはないの?」 「さあな」  ぶっきらぼうにセイルは肩を竦める。その面持ちを見る限り嘘をついてるようには見えなかった。アネッサたちの話を鑑みても、おそらくここで間違いはなさそうだ。 「案内ありがと。助かったわ」 「お前らはいつ来んの?」 「宵の鐘が鳴ったら、かしら」  ふーんと相槌を打つセイルの目が半眼に閉じられた。僅かにそっぽを向いた幼馴染とその隣に軽く会釈をし、アデレードは(きびす)を返した。  木立の道に入る前にちらりと振り返る。ガゼボの中で長椅子に腰掛けるカレンフェルテと、彼女にグラスを差し出すセイルがシルエットになって見えた。
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