7.星影に結ぶ珠

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 薄暗がりの中を長身の男がのんびり歩いてきた。姿がだんだんはっきりするにつれ、ウィルトールは訝しげに目を眇める。  それは相手も同じだった。数歩を残して止まった最低男は不可解な面持ちで己の腰に手を当てた。 「なんだ、お前ら知り合い?」 「……アディ、この人のこと?」  男の問いには構わずウィルトールは少女を振り返った。青年の指差す先を()めつけてこくこく音がしそうな勢いで頷くと、藍の双眸には明らかに気まずそうな光が宿る。 「ウィルトール……?」  こぼれた声には思いのほか不安な色が滲んでいた。彼の眼差しは柔らかく、アデレードの腕をとんとんと撫でる仕草にしても言外に大丈夫だよと宥めてくれている。けれど最低男を見据える横顔はどこか遠慮がちに見える。  ──知ってる人なんだ。  思いつきが確信へと変わるのにそう時間はかからなかった。最低男は社交的だし行動力もある。アデレードに突撃したのと同じノリでウィルトールにも声をかけたのだろう。  ふたりをそっと見比べ、アデレードは唇を引き結んだ。ふたりの雰囲気は対照的。どうせ顔見知り程度の仲に決まっている。  やがて溜息混じりに紡がれたウィルトールの言葉は、少女の期待から少し外れたものだった。 「……幼馴染なんだ。からかうのはやめてほしい」 「おさななじみぃ?」  男のすっとんきょうな声と同時にアデレードの目が丸くなる。 「ねえ──」  摘んだ彼の袖をそっと引っ張った。二、三引いたところで当人の手にやんわり押さえられ、ささやかな抗議はあっという間に封じられてしまった。少女の頬がぷっと膨らむ。  ──そこは嘘でも〝恋人〟と言うところではないのかしら。  だって相手は女たらしの最低男。〝幼馴染〟ではなんの牽制にもならない。そのうえ今の言い方だと「アデレードは冗談が通じない」ともとれてしまいそうだ。面白くない。  瞬く間に心の表面を薄い氷が覆っていった。こんな場面でさえ彼はアデレードのことを恋人とは呼んでくれない。最低男を見据えたままこちらを見ようともしない。  沈黙を破ったのは最低男だった。 「あーわかった! きみ、セイルと喧嘩してた子だ」 「けん、か……!?」 「そうか、あのときの子かぁ」  見透かすような男の眼差しにカアッと顔が熱を帯びる。最低男がなぜそれを知っているのだろう。喧嘩なんて相当昔のことなのに。 「じゃあ、セイルと同い年?」 「二つ上だよ。アディの弟がセイルと一緒」 「ふぅん、お姉ちゃんなんだ」  ウィルトールの返答に男はにやにやと腕組みをする。  すっかり蚊帳の外だった。議題は自分のことなのに口を挟む隙もなく、ウィルトールの陰に身を隠すしかない。こっそり覗き見たくてももし目が合えば間違いなく話を振られる。ああ言えばこう言うタイプのあの男に口で勝てる自信はなかった。避けたい。  思案に耽っていたアデレードははっと顔を上げた。いつの間に来たのやら、すぐ目の前に男が立っていた。思わずウィルトールを盾にする。 「おれの記憶力も大したものだろう? 嘘つきにならずにすんだな」 「知らないったら! いい加減なことばっかり言わないで!」 「これからよろしく、アディちゃん。なんだか長い付き合いになりそうだし?」  爽やかに片目を瞑った最低男にアデレードは色をなくした。彼はにやりと口角を上げ、ウィルトールの肩を軽く叩いた。 「どういうこと!? ウィルトール、知り合いなの?」  最低男の姿が完全に見えなくなってからアデレードは前に出た。不満げに見上げた先でウィルトールは眉根を寄せていた。口許に拳を当て、「まあ……」と曖昧な声を返すものの後が続かない。  どう考えたっておかしかった。ウィルトールだって社交家だ。相手を不快にさせず、且つ有利な方向に事を運ぶのはきっと苦手ではないと思う。なのにあの男に関しては始めから交渉を放棄していた()があった。弱みでも握られているのか、もしくは何か引け目があるのか。 「ウィルトールがあの人に教えた、とか……?」 「アディのことを? 話したことないよ」 「じゃあどうして知ってるの? 本当に、一度も会ったことないのよ!?」 「──では私はこれにて」  詰め寄ったところで低めの声が割って入った。  ふたりから少し離れた場所に佇んでいたのは薄い金色の髪をきちんと撫でつけた老紳士だ。しかつめらしい顔をしてアデレードたちをじっと見つめている。  そうして周りを見渡してみれば遠巻きにちらちら盗み見てくるギャラリーは少なくなかった。アデレードの顔から血の気が引く。 「失礼しました。これからよろしくお願いします」  ウィルトールの会釈に老紳士は悠然と頷き、しっかりした足取りで立ち去った。  彼方をぼんやり眺めていると背中に何かが添えられた。それがウィルトールの手だと認識するより早く「こっちへ」と耳打ちされ、アデレードは促されるまま歩き出す。 「あ、ご、ごめんなさい。わたし、自分のことでいっぱいで、あの……」 「気にしなくていいよ。俺も、アディに話がある──」  ウィルトールはそこで話を切った。そばを通りかかった使用人と二言三言言葉を交わし、幾つかのテーブルを経由したあと庭園の端にやってきた。
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