7.星影に結ぶ珠

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 アネッサとの会話でも出た蔓薔薇(つるバラ)のアーチは花の咲く時期を過ぎ、今は緑に覆われていた。そうっと窺うと長椅子には先客がいるようだ。  ウィルトールはアーチをくぐらずその傍らの奥まった場所にアデレードを(いざな)った。ひっそり設えられたこちらの長椅子に主はいない。勧められるままに腰掛け、息をついたところでグラスが差し出された。途中で調達してきたものだ。 「さっきの人と会ったときのこと、教えてくれる?」 「……大したことは話してないわ。クラレット(こ こ)に来る船の中でお茶に誘われて、着いてからもう一回会ったかしら……。はっきり断ったのに聞いてくれないし失礼なことばかり言うし、もう絶対会いたくない」 「今日が初めてじゃなかったのか?」 「え、う、うん……」  上目遣いに見上げていたアデレードは、彼の悩ましげな横顔から逃げるように視線を手元に落とした。ふうと耳朶を打った溜息は言外にアデレードが黙っていたことを非難しているようにも聞こえた。  カフェでお茶をしていたあのとき、一番の気がかりはアッシュやマリーに迷惑をかけてしまったことだった。最低男とのやりとりなどすっかり飛んでしまっていたし、仮に覚えていたとしてもやはり言えなかった気がした。ウィルトールには極力心配をかけたくない。  青年の組んだ足を組み替える仕草が視界の端に映った。 「俺に兄がいるのはアディも知ってるだろう?」 「……今日の主役は一番上のお兄さまでしょ」 「さっきの人は二番目」 「え?」 「あの人がファーライル」  一瞬の間があいた。彼が口にした名をアデレードも繰り返す。まっすぐ見つめてくるウィルトールの瞳は夜明け前の澄んだ空の色だ。大好きなその色をなぜあの男も持っているのかと、見かけるたびに憤った──。 「()()が!? 嘘でしょう!?」  勢いよく立ち上がればウィルトールは困ったように唇に薄い笑みを乗せた。 「あれで結構頼りになるんだよ。信じられないかもしれないけど」 「あっ……悪く言いたいわけじゃなくて。まさかお兄さまだと思わなくて……あの、ごめんなさい……」 「大体想像はつくよ」  肩を竦める彼を横目にアデレードはこそこそと腰を下ろして小さくなる。最低男に対して発した具体的な言葉を全て思い出すことはできないが、あらゆる悪口を連ねた自覚はあった。ここから何を言っても墓穴を掘るだろう予感がある。  宵の風はふたりをさらさら撫でていく。人々の語らう声や軽やかな楽の音が微かに聞こえてくる。  手持ち無沙汰にグラスの中身を含むとオレンジの爽やかな酸味が喉を滑り落ちていった。視界の端に彼の長衣が映る。濃紺の袖や裾の縁には銀糸で細かな刺繍がされている。 「──兄さんでまだよかったのかも」  振り仰いだ先にあったのは思案げな眼差し。手の中でゆらゆら傾けていたグラスを「持ってて」と預けたウィルトールは、服の下に落としていた何かを引っ張り出した。青い光が煌めくのが見えて、そこでペンダントだと思い至る。 「向こう向いて」 「向こう?」  首を傾げつつアデレードは背中を向けた。ウィルトールは物音も立てず、けれどこちらを見ている気配は感じられるので身動ぐことさえなんだか躊躇ってしまう。  首筋に一瞬ひんやりした感触が伝った。 「これ……」  這わせた指先に細かな鎖が当たる。胸元に収まったトップを摘まみ上げれば視界の下端ギリギリに小さな青玉が映った。石の隣には四つ葉の形をした小さな革細工がぶら下がっていた。 「お守り。危害を加えるものから守ってくれる。()けてるのを知ってる人にしか見えないから衣装の邪魔もしないし、今だけ外さないで」 「……魔術道具? ウィルトールのでしょ、いいの?」 「念のためにね」  頬を紅潮させて振り向けば彼の微苦笑に迎えられた。預かっていたグラスを手渡すとウィルトールはひと息に呷った。 「アディが持ってた方が安心だから。多分、思い切り転んだとしても怪我しないんじゃないかな」 「ウィルトール……もしかして、わたしが転ぶ心配してるの?」 「うーん……まあそれも。走らないって約束できる?」 「何歳だと思ってるの!?」  真っ赤な顔で立ち上がったアデレードに青年は両手を上げて破顔した。 「知ってる知ってる。誕生日は来週だろう」 「そうよ。六歳差になるんだから」  遅れてウィルトールも腰を上げた。「六歳?」と不思議そうな顔を向けられ狼狽したアデレードだが、幸いあまり気に留められなかったようだ。そろそろ行こうと促され、肩を並べて歩き出す。 「アンには会った?」 「手紙! 受け取ったわ」  紙片を入れたポーチを掲げてみせた。片手で開けるのに手間取っているとアデレードのグラスを長い手指が取り上げた。僅かな光に照らしながら探ることしばし、ようやく見つけた紙片とともに顔を上げると柔らかな眼差しが向けられていた。 「見せたいものがあるんだ。ちょっと早いけど先にガゼボに向かってくれないかな」 「……ウィルトールは行かないの?」 「まだ予定があってさ。終わったらすぐ行くから」 「ふぅん……」  一緒にいられると思っていた分、声には落胆の影が落ちた。唇を尖らせる仕草は己の心の狭さを露呈するようで、代わりに下唇を軽く噛んでやり過ごす。 「アンのところがいい?」 「え?」 「道、わからないならアンの部屋で待ってて。あとで迎えに行くから、それから一緒に行こう」 「あ、違──」  どうやらガゼボへの行き方が不安であるように受け取られたらしい。慌てて手を振りかけたアデレードはふと動きを止めた。  ──アネッサとともに時間を潰すのもなかなか楽しいのではないか。きっと歓迎してくれるだろうし、アデレードの想い人についてもバレているし。ディートも交え、お喋りに興じるのも──。 「……やっぱりだめよ!」 「だめ?」 「ディートさんは知らないもの」  行けば必然的に〝一から説明する儀式〟が待っている。もしかしたらアネッサから話がまわっている可能性もなくはないが、やはりアデレードから直に打ち明ける流れにはなるだろう。相当恥ずかしいうえにからかわれるのも必至だ。 「ディート、さっき会わなかった? 大体アンと一緒にいるはずだけど」 「あ、そうじゃなくて……あ、でも待って」  ディートはアネッサが知らないウィルトールのことを知っていた。つまりふたりとも同席していた方が彼のいろんな話を聞けそうな気がする。始めの恥ずかしささえ耐えることができれば、あとはきっと楽しい時間が待っている。  けれども──果たして平然としていられるだろうか。人間離れした容姿を持つディート。その長い睫毛に縁取られた瑠璃色の瞳を思い出した途端アデレードの頬は熱くなる。さっきだってアネッサ越しに覗くことでなんとか会話が成立していた。恋バナは心の準備ができてから、もう少しディートに対する耐性がついてからの方がいいのでは。 「ははは!」  突然響いた笑い声にアデレードはポーチを抱き締め飛び上がった。隣で僅かにそっぽを向いた青年の肩が震えている。 「……なに、どうしたの……」 「百面相。そんなに難しいこと言った覚えはないんだけど?」 「えっやだ」  振り返った横顔は可笑しそうに綻びていた。かっと顔に火がついたような錯覚に陥り、アデレードは鼻から下をポーチで隠す。 「手作りなんだって、それ」  何が、と言外に含めて上目遣いに睨んだ。笑いの残る眼差しはアデレードの鎖骨の間に注がれていた。 「シアールトに移るときアンから貰ったんだけどさ。あとで聞いたらディートが作ったって」 「ディートさん!?」  鎖を爪の先で引っかけ、視界の端に入れてみる。  こういうものは専門の職人が作るとばかり思っていた。青玉も、目の細かい鎖もとても値が張りそうだし。だが言われてみれば細い革紐を編んで作った四つ葉飾りはなかなか手作り感溢れている。容姿端麗なディートからかけ離れた素朴さ、ちぐはぐさがどこか微笑ましかった。ウィルトールの持ち物にしては可愛いなと思っていた印象も、素性を知ると気にならなくなった。 「魔術道具って自分で作れるのね」 「精霊の力をこめた物という定義で言うならね。アンもお気に入りのラリエットを魔術道具にしてたよ」 「素敵ね……」  ウィルトールの誕生日まであと二ヶ月あまり。想いをこめて作った物に〝ずっと持ち続けてもらえる〟付加価値を付けられるなんて、こんなに最適な贈り物はない。このくらいの細工物ならアデレードにも作れるだろうし、作り方を調べたり材料を用意したりと実際の作業行程に費やす時間も含めばあっという間に時が過ぎてしまいそうだ。フォルトレストに戻り次第すぐに動かなくては。 「精霊が寄ってくることもあるよ。石が光って見えるんだって」  視界の端で何かが動いた。そう思ったときにはもうウィルトールの顔が間近にあった。二つのグラスを片手で持ち直し、アデレードの胸元で光る青い石にそっと触れる。  蜂蜜色の髪が一房さらりと青年の横顔に落ちた。吐息が絡むほどの距離で、伏し目を覆う青年の長い睫毛から目が離せない。 「本気で危害を加えるやつからは守ってくれるらしいけど、髪を引っ張る程度だとされるがままでさ、……アディ、聞いてる?」 「……えっ髪の毛!?」  一拍遅れて手を頭にやると、途端に朗らかな笑い声が上がった。 「いつもの髪型だったら、格好の猫じゃらしだったかもな」 「わたしが精霊を見られるわけじゃないのよね?」 「今でも捕まえてみたい?」  藍色の双眸が悪戯っぽく光るのを見て、慌てて顔を横に振った。それは幼い頃に夢中になった遊びだ。精霊を()ることができるのは不思議の力を持つ一部の者に限られる。なのに散々無理を言って彼を困らせたのは申し訳ない思い出のひとつだった。できることなら当時の自分を叱りつけてやりたい。 「本質は変わらない、か」  どこか遠くを見るような面持ちでウィルトールは天を仰いだ。
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