7.星影に結ぶ珠

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 * *  ひと組の男女が寄り添い佇んでいる。どちらもアデレードのよく知る人だけれど、自然と引き寄せられるのは蜂蜜色の髪を持つ男性の方だった。闇に射しこむ一筋の光をきらきら弾く滑らかな髪。  彼が持つ青藍の双眸は今は別の女性に注がれていた。アデレードと同じ赤い髪を持ち、アデレードよりも綺麗で大人っぽい女性ローディアに。  ──今度こそ早とちりではない。アデレードの知らないところで縁談の話が進められている。誓いのワルツが何よりの証拠。  彼女はギルマルク家の一人娘。片やウィルトールはウィンザール家の三男だ。家柄や本人の素行には何の問題もなく、それどころか過去に娘を救ったヒーローでもあるとなればギルマルク伯が反対する余地はどこにもない。 『誰だって好きになるよ。誘拐されて、助けにきてくれたら』 『フラれたんでしょ?』  友人の声が耳に蘇った。一般論としては当然のことだとアデレードも思う。けれどもうひとつの言葉はとても賛同できるものではなかった。告白なんてした覚えがない。謂れもないのに身を引けと言われても困る。シェアラが嘘を言うとは思えず、かといって彼女が正しいとも思いたくはない。  アデレードの想いはウィルトールに知られているのだろうか。だとすればなぜそれを黙っているのか。  選択肢はふたつしかないはずだ。そのどちらも選ばない理由は一体なんだろう。縁談が明らかになれば事情を察するだろうと期待している?  アデレードははっと息を呑んだ。ファーライルと対峙したときその場凌ぎの嘘ででも恋人と呼ぶことはしなかった。あれが彼の答えではないのか。  名を呼ばれた気がして顔を上げるといつの間にかふたりが目の前にいた。ウィルトールの手が親しげにローディアの肩に回され、その唇はゆるやかな弧を描く。 『見せたいものがあるんだ』  ローディアがそっと隣を見上げた。青年を見つめるその瞳が嬉しそうに綻ぶ──。  自分の悲鳴で飛び起きた。胸が激しく騒ぎ、全身に酷い脂汗をかいている。アデレードは膝に顔を埋めて鼓動が落ち着くのを待った。  ──最近の夢見の悪さには泣きたくなる。  冷たい夜風が肌を撫でていった。身体のあちこちが痛くて重い。出血している感覚はないけれど打ち身はかなりあるのかもしれない。自らを抱きしめるように両腕を撫でると赤い毛束が指先に落ちた。編みこんでいた髪も解けてしまったらしい。 「やだ……」  のろのろとドレスを見下ろせば繊細な織りのレースはほつれて破れ、生地はどろどろに汚れていた。擦ったり叩いたりするとまだら模様はかえって酷くなる。  鼻の奥がつんとした。ペンダントを握った拳に水滴が落ちた。ぽつりぽつりと雫は後からこぼれ落ちていく。  幾ら縁談を受ける気はないと突っぱねても本人に決定権がなければどうにもならないのだ。あんなに嫌がっていたエレムやセイルだって、時間とともに心変わりしていった。だからウィルトールもきっとそうなる。優しい人だからこそ。  喉の奥がぐうっと締まる感覚に背を丸める。  少女の手の中に仄かな温かみが生じたのはそんなときだった。揺れる視界の下端に青玉と四つ葉の革細工が映りこんだ。見た目になんの変化もないその飾りが、冷えた指先をじんわり温めている。 「ウィルトール……」  目許を拭い、アデレードはもう一度ペンダントを握りこんだ。  ──やっぱりちゃんと会って話がしたかった。彼はきっとアデレードの不安を笑いとばしてくれる。そう信じていたい。  満天の星の下、傾斜の緩やかな箇所を求めて目を凝らす。  三方を急斜面に囲まれたそこは岸辺をごっそり(えぐ)り取ったような地形だった。子どもが数人走り回って遊べそうな広さがあり、岸壁は足元から中ほどまではすり鉢状だがそこから上はまるっきり崖になっていた。上端まではアデレードの背丈の倍以上ある。  開けた一方には暗い湖の風景が覗いていた。耳に届く音の感じからすると水辺は思ったより近そうだ。  一角に小さな光を見つけた。アデレードの腰より低い高さに、暗赤色の光がふたつある──。 「えっ……」  心臓が跳ねた。全身の毛が逆立ち、踏み出しかけた足はそのまま固まった。  何の動物だろう。いやあれは動物なのか。オバケの類いだったらどうすれば、でも今まで見たこともないのにそんなものに遭うかしら──。  長い長い一瞬だった。実際は瞬きをするほどの僅かな間だったかもしれない。アデレードが様々な憶測に圧倒されているうちに、赤い光はそっと距離を詰めてきた。あたかも氷の上を滑るように、アデレードの目の前に。  ひっ、と息を呑んだアデレードは、そのそばから眉を顰めることになった。  豊かな黒髪を背に流した女の子だ。年の頃は四つか五つ、裾の長い衣に身を包み、唇を真一文字に引き結んでじっとアデレードを見つめている。闇の中で恐ろしげに見えた瞳はどちらかというと茶色に近い。 「……ひとり? あなた、どうしたの……?」  きょろきょろと辺りを見回すも他に人の気配はない。とは言えこの年頃の子どもがひとりで歩き回るのは考えにくい。同じ()()()ということか。  少女がおもむろに両腕を持ち上げた。アデレードに向かって伸ばされた両手、その仕草が()()()()()()に思わずアデレードの口許が綻びる。  少女の脇の下に手を差しこんだ。  その瞬間、轟音と閃光が闇をつんざいた。
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