7.星影に結ぶ珠

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「きゃあ!」  まるで指先に雷が落ちたような衝撃だった。  火傷はない。代わりに聴力がなくなり視界には光の残像が残った。両手で耳を押さえたり離したりしてみるが感覚は戻らない。  だがそれよりも。数歩よろめいただけのアデレードに対し、横に伏せた小さな身体はぴくりとも動かなかった。 「あ──大丈夫!? どこか怪我は、」 「アディ!」  一歩を踏み出したところで足が止まった。膜が張ったような耳でも即座に反応できたのは、特別な声だったから。瞬時に振り返ったアデレードをその動きごと、()は腕の中に閉じ込めた。 「何してる!」 「ウィルトール!? あ、ま、迷って……」 「あれは人じゃないよ、アデレード。近づいてはいけない」  視界の外から涼やかな声が響いた。ウィルトールの後ろから姿を現したのは黒髪の佳人だ。 「ディートさん!」 「寄り道は感心しないな。ウィルのおかげで迷わずに済んだけれど」  白魚の指がアデレードの胸元を指した。つられるように一瞥し、アデレードは背後を振り仰ぐ。どういうことだと目で訴えると彼は僅かに口角を上げた。 「言っただろう、ディートが作ったって」 「手作りだと迷わないの?」 「特別だよ。ディートは〝()える人〟なんだ。そのペンダントも魔術道具というより──」  会話はそこで断ち切られた。鋭い、猫の鳴き声のような音が闇を裂き、ふたりは弾かれたように視線を戻した。  音の出所はディートの手の先にあった。女の子が、親猫に運ばれる子猫のように首の後ろを摘まみ上げられていた。もがき暴れる様から嫌がっているのは見て取れる。その声にしてももはや人より猫のようだけど。  ──さすがにその抱き方はない。  抗議の声を上げようと息を吸い込んだアデレードは、次の瞬間目を見張った。ディートの手にあるのは女の子ではなかった。見る間にどんどん萎み細くなっていく黒い()()。暗がりの中にありながらそれは何故か星屑を纏うかのように薄ら輝いている。太いロープほどにまで縮まるとすっかり大人しくなった。  アデレードに回された腕に力が籠もった。耳元に気配が近寄る。 「精霊の一種だって。人にはあまり好意的じゃない部類の」 「せ……、ええ!?」  何度瞬きをしてみても暗くてよくわからない。もっと近づいてみたい。けれどそれ以上近寄ることは彼が許さなかった。  ディートが口の端を持ち上げた。 「私はこの子と少し話をしていくから、ウィルたちは先に上がっているといい。後から帰るとアンに伝えて」  ディートの姿が見えなくなってからもアデレードは呆然と立ち竦んでいた。子どもの頃は一目でいいから精霊を見てみたいと思ったものだけれど。 「……思ってたのと全然違うわ……」 「アディ、」 「ねえ、あれ本当に精霊なの? ディートさん、精霊と話すことなんてできるのかしら」  アデレードはおずおずと向き直る。少女の全身をくまなく見回したウィルトールはその両肩に手を添えた。 「怪我は」 「あっ……これ貸してくれてありがとう。やっぱり借りててよかった。おかげで、」 「何もない?」  ペンダントを握ったままこっくりと頷く。視力と聴力はほぼ戻ったので嘘ではない。いろんなところがしくしくと痛むがそれだけだ。  だが口の端だけで形作っていた笑みは、彼に顔を覗きこまれてしまうと引きつった。鋭い光の宿る瞳からは逃れられず、ついにアデレードは白旗を上げた。 「……打ち身だけ」 「どこに」 「背中と腰……と、足もちょっと。でも大したことないのはほんとよ」 「アディは聞かないと教えてくれないな」  ふうと呆れ気味に吐き出された溜息を耳が拾った。反射的に身を固くしたときにはもう藍の双眸は視界から消え去っていた。あとに広がっていたのは満天の星。それから数秒遅れて青年の両腕が背に回されていることに気づいた。 「う……、ウィルトール……!?」 「ごめん、やっぱり送っていくべきだった」  喉の奥から絞り出したような声が、頭のすぐそばで聞こえた。途端に現実が戻ってくる。翻る濃紺の長衣と、ふわりと舞う茜色の。 「──待って、離して!」  胸の前に無理矢理腕を捩じ込んだ。ウィルトールとの間に隙間を作り、力いっぱい押しやると彼の(いまし)めは呆気なく解けた。向けられた訝しげな眼差しをアデレードは真正面から受け止め、息を吸いこむ。 「ウィルトール、ローディアさんと縁談するの?」 「え?」 「ローディアさんを助けたって本当? だからワルツを踊ったの? 誓いの──」  青年の顔色が変わった。アデレードにはそれで充分だった。自らを抱きしめるように両腕を交差させる。 「本当なの……。シェアラが言ってたこと全部」 「……前にも言っただろう。縁談はしない」 「どうにもならないことはあるもの! エレムも、セイルだって」 「聞いてアディ──」 「ウィルトールはどこまで知ってるの!? わたし、何を信じればいいの……!?」  伸びてきた手から逃れるように数歩下がった。込み上げてくるものを必死で堪えながら一歩、また一歩と後ずさる。 「祝福しなきゃって言われたの。でもそんなのできない。知らないんだもの。知らないことばっかり……!」  ウィルトールは押し黙っていた。まっすぐ見つめてくる眼差しは今まで見たことのない深い海の底の色をしていた。何を思っているのかわからない、そう考えてアデレードの口角はぎこちなく上がる。ウィルトールが何を思い何を考えているのか、当たったことなんてほとんどない。  先に動いたのはアデレードだ。首の後ろに両手を持ち上げる。結ばれた鎖の留め具を外そうとするがなかなかうまくいかない。 「これ、アディのだろう?」  静かな声が耳を打った。彼が差し出してきたのは白いリボン。先程までアデレードの髪を彩っていたものだ。きっと酷い髪型になっているのだろう。ぼんやり思うそれすらもはや他人事のようだ。  彼の手が上向いたまま上下した。早く受け取れというメッセージをそこに受け取ったアデレードは仕方なく足を踏み出した。間合いはできるだけ保ち、目一杯に腕を伸ばして。  指がリボンに触れる直前、その手はウィルトールに捕らえられた。 「戻ろう。話は上に上がってから──」 「やっ、離して……!」 「アディ、」  力任せにもがいてみるが逃れることは適わない。一気に引っ張られ、気づけば彼の腕の中に収まっていた。聞いてと囁かれるとアデレードはいよいよ動けなくなった。 「──全部話す。だから、上がろう」
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