7.星影に結ぶ珠

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 * *  本館の裏手に戻ってきた。ウィルトールは歓声が聞こえる方とは反対の方向へアデレードを引っ張っていく。主会場は避けてくれるようだと思ったのも束の間、足を止めたのは木立が途切れた箇所だった。 「ここだよ」  見上げた先に見慣れた微苦笑が待っていた。その目が「間違っただろう」と語っていて、アデレードはあらためて獣道を見渡した。  セイルに連れられてきたときも入口はわかりにくかった。やはり強がりを言わずに案内してもらえばよかったのだ。そうすれば迷うこともなかったし、も見ないで済んだ。  分かれ道に足を踏み入れると数歩先の地面に小さな明かりが二つ(とも)った。ウィルトールがその間を通るとまた数歩先に明かりが点る。ふたりの後ろには幻想的な小径(こみち)ができていた。夕暮れ前に通ったときとは雰囲気がまるで違う。  ひっそり佇むガゼボ、その入口に下げられた小さなランプが光の終点だった。階段を上がるとウィルトールの肩越しに暗い湖が見える。満天の空の下端は稜線がいびつに切り取り、裾野には賑やかな明かりが瞬いている。 「ここ、知ってる人間が限られるから何かと都合がよくてさ」  ようやくアデレードを離して彼はゆっくりと湖の方に視線を投げた。その横顔を見上げながらアデレードは所在なさげに両手指を組み合わせる。 「邪魔も滅多に入らない。息抜きに抜け出してきてはよく対岸を眺めてたよ。メリアントなんかは夜の方がわかる。明るくて、賑やかで」 「あっわたしも……!」 「うん?」 「メリアントから見てたわ。一番高いところに見える光がウィルトールの部屋の明かりかしらって……」  言葉は尻すぼみになっていった。向けられた青藍の瞳にはいつもの落ち着いた光が浮かんでいる。  宴の最中とは思えない静かな夜だ。宵闇に虫たちのささやかな合唱が響き、水気を含んだ夜風は青草の香りを乗せふわりと肌の上を滑っていく。 「さっきの余興だけど」  ウィルトールはガゼボの端へ歩くと柱に腕を持たせかけた。おうむ返しに「余興?」と呟けば彼からは一言「ワルツ」と返ってきた。 「本当はファル兄さんが踊るはずだったんだ。でも先方は俺を指名してきた。俺も薔薇姫には確かめたいことがあったから受けることにした。いい機会だと思って」 「ローディアさんに確かめたいこと?」 「……彼女の知る真実を」  横目でアデレードを見る彼の唇には薄く笑みが浮かんでいる。  ウィルトールの足が再びアデレードの元に戻ってきた。 「薔薇姫の話をする前に、」  青年の手がゆるりと懐に潜る。長衣の内側から現れた薄い四角形にアデレードの胸が跳ねた。結んだ両手指にきゅっと力が入る。 「ウィルトール、それ……」 「捻れて伝わるくらいなら俺からきちんと話したい。それならこれも見てもらった方がいいと思うんだ」  差し出されたのは白い長方形──花の透かし絵が入った封筒だった。暗がりの中でその正体を判別できたのは見覚えがあったから。隅にあしらわれた花がマーガレットであることも知っている。  胸を押さえ、アデレードは一歩二歩と後ずさった。足元がふわふわする、そう感じたときには長椅子に座らされていた。隣に腰を下ろした青年の手が背に温かい。  宥めるように撫でる優しい手つきにだんだん心が落ち着いてくる。アデレードはやがて首を小さく横に振った。 「知らない……」 「アディ。本当に?」 「……あのね……笑わないでくれる?」  上目遣いにそうっと見上げると藍の双眸は勿論と話の続きを促す。アデレードは彼の膝上にある封筒を遠慮がちに指し示した。 「夢に出てきたの。ウィルトールも。思い出してって言われたけど、わたし全然わからなくて」 「……それだけ? 他には」 「あんまりいい夢じゃなかったから……。だけど予知夢みたい。まさか本当に持ってるなんて、思わなかっ……」  じわと目の縁に熱を感じて俯いた。その潤んだ視界に白い四角形が、横からするりと滑りこんできた。僅かに顔を上げればウィルトールの静かな眼差しとぶつかった。 「いいの……?」  彼が小さく頷いて、アデレードはそっと目元を拭った。息を整えると慎重に封筒を手に取る。  中には三つ折りの便箋が入っていた。星明かりだけではさすがに厳しい、そう思ったところで手元が明るくなった。ガゼボの入口に吊るされていたランプをウィルトールが取ってきてくれていた。彼の好意を甘受し、アデレードは浮かび上がった文字を追いかけた。 『ウィルトールへ  ちょっと早いけど十九才のお誕生日おめでとう!  今年はカバンにつけるお守りを作ってみたわ。  わたしのクラスで流行ってて、作り方を教えてもらったの。  小さいからそんなに目立たないと思う。  もし気に入ってくれたら、つけてくれるとうれしいです』  馴染みのある字体に息を呑む。馴染みどころではない、どう見ても自分の字。でも内容には全く覚えがない。 「年前、」  かたわらにランプを置いてウィルトールは再び隣に腰を下ろした。アデレードを見下ろす青藍の双眸には暖色の光が差しこみ、明けゆく空のような色合いを醸し出している。 「アディがくれた手紙だよ。朱鳥の丘で、あのときは夕陽がすごく綺麗だった」 「……朱鳥は、この前が初めて」 「あれは二度目」  穏やかな眼差しにはアデレードを窺う色も滲んでいた。その目に嘘はないことは充分にわかっている。それでもアデレードは首を横に振るしかなかった。 「思い違いをしてるわ。ウィルトール騙されてる。こんな手紙を書いた覚えもないし……誰かがわたしの字に似せて書いたのかも」 「直接貰ったんだよ。その場で読もうとしたら、あとで読んでって」 「嘘よ! いくらなんでもクラレットのことなら全部覚えてるもの。だけど手紙も、丘に行ったことも全然記憶にないの」 「──うん」  そうだねと静かな声がアデレードの耳を撫で、夜気にほどけていった。どこか諦観を含んだそれには自身の口調が強すぎたかと少しばかりの罪悪感を覚える。かといって嘘を言うわけにもいかない。知らないものは知らないのだから。 「でもね、それ」  つ、と下りたウィルトールの視線を追って自身も胸元に目を落とす。伸びてきた彼の手はアデレードの首の後ろに回り、ネックレスをあっという間に回収していった。目の高さに掲げられた銀の鎖には小さな青玉と四つ葉の革細工がぶら下がっている。 「これが証拠」 「……魔術道具が?」 「四つ葉の方だよ。鞄につけるのはやめたんだ」  少女の膝にちらりと一瞥をくれたあと、ウィルトールは再びネックレスを身に着けた。彼の胸元と、手元にある手紙とを交互に見やったアデレードは、えっと目を見開いた。 「ディートさんが作ったのよね?」 「石はね。ディートはこつこつする作業は向いてないよ」 「えっ……えええええ?」  けろりと答える青年の様子にアデレードの顔が熱を帯びていく。手作り感溢れる革紐細工と完璧な美貌を持つディートを結びつけることには当然違和感があったし、作者は自分という方がよほどしっくりくる。とはいえ実感が湧かないのも事実。  アデレードはおもむろに両手を頬に当てた。指先はすっかり冷え切っていた。 「本当に、わたしが作ったの? この手紙も、わたしが……?」 「……もう随分昔のことのように思えるな」  青藍色の双眸はそっと伏せられた。
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