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第一章 雨宿り
拝啓 お元気ですか。
今もこうして、瞳を閉じると、あの日の雨音が聞こえてきます。
美雨と初めて出会った六月七日、そうーー二人の記念日になった日の事を今も鮮明に覚えています。
あれはバイト終わりで、疲れ果てていた足を、引きずりながら歩いていた帰路ーー夜から大雨が降る、と朝のニュースで聞いたにも関わらず、夕方から降ってきた時は、とことん運に見離されていると思いました。
露草色の紫陽花に囲われている、小さな屋根付きのバス停で雨宿りをしながら、ますます激しくなる雨音を聞いて、三十分に一本しか来ないバスを待ちました。節約の為にも、普段は乗らないけれど。
雨音は、昔から嫌いではなかったです。バス停のベンチで瞳を閉じて、雨が奏でる旋律に耳を澄ましていました。すると雨音に、水溜りを飛び跳ねるような音が加わり、人が近付いてくる気配に気付きました。
それが美雨ーー貴方でした。
傘を手にしているのに、何故か差していない事に驚きました。長い手足を優雅に動かし、水で濡れた長い髪が、曲線を描くように水滴を飛ばすーー雨の中を舞う、水の精に見えた美雨を、目で追っている自分がいました。
僕が眼を奪われていると、美雨もこちらに気付いてくれたよね。少しずつ近付いてくる美雨は、顔が小さくて、大きな瞳が澄んで輝いていてーー。僕は、産まれて初めて、一目惚れを経験しました。
「傘、持っていないの?」と一言、僕に聞いて、手に持っている水色の傘を差し出してくれました。
「君は、傘を持っているのに、何故差さないの?」と、僕が問いに対して問いで答えてしまうと、美雨は憂いを帯びた笑みを浮かべて、こう言ったよね。
「雨は悲しみを流してくれる。それに涙を隠してくれるから好きなんです」
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