夜桜ノ森の里

1/38
54人が本棚に入れています
本棚に追加
/75ページ

夜桜ノ森の里

 直智の表情が徐々に緩んで行く。ようやく暗く深い森から抜け出す事が出来た という事実が、今自分が俗世間からかけ離れた不思議な場所にいるという不安以上の安堵をもたらしたのだ。 「ハハ…」  先程までの極限な状態とは打って変わって心底落ち着いた表情を見せ、大量にかいた汗のせいで潤いの消えた喉から乾いた笑い声を出す。と同時に膝の力が抜け其の場に尻餅をついた。 「本当にダメかと思った…。もう助からないと思った……」  小さく呟き地面に座り込んだまま立ち上がろうとしない直智に対し不思議な女性は直智の目線の位置まで腰を下ろし、目線を合わせながら笑顔で直智の顔を覗き込む。 「大変だったね。でも、もう大丈夫だよ」  そしてその笑顔を崩す事なく優しい口調で直智に話しかけ直智の頭を撫でた。 「え、ちょ…」  突然の事に直智は慌てて右手で女性の手を払う。 「フフフ…。照れちゃった? それよりもこんな所で座っていないで汗を流して少し休んだら? 向こうに温泉があるから行こう?」 「え? あぁ…」  そこで初めて直智は自分が汗臭く全身が酷く汚れている事に気付いた。よく見ると体の至る所に細かい切り傷やかすり傷があり、そこからうっすらと血が滲んでいる。 「確かに。流石にこの状態でいるのは嫌だからお風呂頂こうかな」  直智は女性が差し出してくれた右手を掴みその力を借りて立ち上がった。 「ありがとう。ところで君は? あ、ちなみに俺は…」 「君、カサキナチ君でしょ? 私は……う~ん…サクラって呼んでくれる?」 「え? なんで俺の名前を知っているんだ?」  自分が名前を言う前に初対面の女性が自分の名前を呼んだ事に驚き面を食らいながら、直智はすぐさま問いかけた。 「アハハ、時期にわかるよ」  しかし、サクラは直智の質問に答える事はなく石畳の上を軽やかなステップで歩いて行く。その後姿を見ながら「まぁ良いか…」と小さく呟き直智はその背中を追い歩き出した。
/75ページ

最初のコメントを投稿しよう!