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「秋良──っ!」
上体を起こし金魚のように口をぱくぱくさせる秋良の名を叫ぶ梓沙。こぼれそうなほどに開かれた彼女の瞳に映る愛しい弟が、溢れる涙によって見るみるかすんでいく。
「おおお、お母さん……お母さん──お母さん、お母さんっ」
気が動転しているのか、針の飛んだレコードのように何度も母を呼びながら、転げるようにして梓沙は病室から飛びだしてゆくのでした。
その頃。
母親は二階の売店で三時のおやつを物色していました。冷蔵庫のガラスドアをひらきソーダのペットボトルを手にしたところで、店内に梓沙が慌ただしく飛び込んできたのです。
取り乱した娘の様子に驚きはしたものの、元来おっとりとした性格である母親は不思議そうな顔をするだけ。それどころか、「梓沙ちゃん、他のお客さんに迷惑でしょう。静かにしてね」と諭すばかり。
まさか鼻をつまんで秋良が目を覚ますとは思わなかった梓沙は、びっくりするやら嬉しいやらでまともに言葉が出てこずパニックを起こしたのです。
まずは母親に知らせなくてはと売店まで走って来たまではよかったもの、「秋良が息した。鼻をつまんだら飛び起きて口ぱく。お母さん大変、はやく急がなきゃ」と支離滅裂。
母娘と意思の疎通が図れずに梓沙は焦れます。短気な梓沙は緊張感のない母親に腹を立て、彼女の腕を掴むと引きずるように店外へと駆け出すのでした。
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