ねむりひめ

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借金だけを残して、消えた母親。 ーーーバースデーカードや年賀状なんかで母親ヅラは、させない。 秀馬は、もう一度喫茶室を覗いた。 セーターにつけたブローチをずっと触っている母。 秀馬は、病院のベッドで亡くなった父を思い出していた。 母が出て行ってから一度だって父は、母のことを悪く言わなかった。それどころか、死に際に言っていた。 「秀馬、お前は宝だ。愛した人との子供だから……恨まないでやってほしい」 父は、続けた。 「俺は、恨んでないから。感謝してるんだ。……この世でお前に会わせてくれた母さんに」 秀馬の手を弱々しく握っていた父の笑い皺のあるこめかみに涙がつたい流れて行った。 ーーー父さん……… 幸せそうに微笑んで、ブローチを触る母を遠くから眺めていた秀馬。 ーーーなんだか………視界がぼやけてきたな……。 指先で目尻に触れた。生温い水分が指を伝う。 母の記憶は、自分が楽しく幸せだった時間で眠ってしまった。 眠ってしまった記憶は、どうすることも出来ない。誰にも手が出せない領域だ。 きっと、一子がいなければ会わなかった人。憎んでも恨んでも忘れられない人。 ーーー人を心から愛する意味を知った。一子がいるだけで俺は、心が安らぐ。一子がいれば俺は笑える。一子がいるだけで生きてる意味があった。 一子に出会えなければ、きっと許せなかった。憎んでも憎みきれなかった。 本当は、ずっと会いたくて、ずっと忘れられなかった人。 瞬きを数回してから、秀馬は叔母に顔を向けた。 「叔母さん……会わせてくれてありがとう。……今日は帰ります。今度は、大切な人と一緒に来ます。母に……紹介したいから」 母のつけた馬蹄のブローチが窓から差し込む西日に照らされ、落ち着いた光を放っていた。
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