二段目:【被験者】―ヒケンシャ―

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二段目:【被験者】―ヒケンシャ―

【1】参ずる。―サンズル―  その夕刻──。 ボクは、漸く独りになる事が出来た。 屋敷の西側にある客室を充てがわれ、少ない荷物が運び込まれる。 今夜から暫くの間、この部屋がボクの棲家となるらしい。  甲本邸は、驚く程広かった。 屋敷は『東の対』『西の対』『母屋』と、三つの建物から成っている。 大広間のある母屋を挟んで、その東西に対屋(たいのや)と呼ばれる建物が配されているのだ。 渡殿(わたどの)という長い回廊が、此れ等を繋ぎ、屋敷は左右対象の妙を魅せている。 『東の対』は当主の私室。 『西の対』は主に、親族達の私室や客室として使われていた。 厨房は各対屋に一つずつ設けてあり、各々に専属の調理師がいる。  他にも、道場や書庫や蔵などが在るのだそうだが…見取り図を見ても、位置関係が良く解らなかった。 屋敷周りの小さな施設も含めれば、敷地面積は凡そ二万坪にも及ぶ。 庭だけでも、大小併せて四つあると言うから、驚きじゃないか。  一体、此処は何なのだろう? 邸内には、ボクでも知っている様な、銘のある骨董品が、惜し気も無く飾られているし…屋敷そのものも、重要文化財並みに古くて格式が高い。  中でも、一番目を惹く特徴は、やはり、三つの建物をグルリと取り巻く回廊だ。 その下には鑓水(やりみず)が廻され、サラサラと心地好い水音を響かせている。 これは確か、寝殿造りと呼ばれる建築様式だ。 まるで京都の文化財を、そのまま移築した様である。  厳かな、和の設え。 微かなせせらぎを聞きながら… ボクは、西の対屋の一室で空を見ていた。  時刻は午後六時半──。 窓から見上げる麗月が、東の空を明るく照らしている。 その一方で。 西空には未だ、真っ赤に熟れた夕陽が留まり、山際に仄かな残照を投げ掛けていた。 まるで、昼と夜とが攻めぎ合っているように見える。 (ひぐらし)の鳴き声。 轟く遠雷。 夏の涼風が、通りすがりに風鈴を揺らして吹き抜けて行く。 烏の群れが慌ただしく翔び去って行く様子を眺めながら、ボクは思わず呟いた。 「あぁ………疲れた…」 本当に、その一語に尽きる。 昼間の一件からこっち、あまりにも色々な事がありすぎて、全く気の休まる暇が無かった。
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