四章「子育てと騒動」

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 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇  すぐには眠らないと思い、睡眠の呪術を使い眠ってもらった。  本来の主様なら、私程度の呪術は跳ね除けてしまう筈なのに、あっさりと受け入れてしまった。  思った以上に弱っていたようだ。  だからこそ、カナという女が野営地で主様を攻撃した時、何度殺してやろうかと思った事か。  だけど前鬼の『主様の思いを無下にする気か』という言葉に思い留まった。  だけど主様は、自身を逆恨みするような浅はかな女にすら、慈悲を与える優しい方。  私はそんな主様が心配でならなかった。  その優しさがいつか自身を蝕まないだろうか。  人というのは些細な事で心を病む。  カナの番≪ツガイ≫だった男を殺した事に関しても、主様は自身へ牙を剥いたのだから当然の報復だとは思わない。  人知れず、それこそ本人すら無意識の中で罪の意識に苛まれていた。  そのせいか、どこか彼女に対する後ろめたいような、そんな笑みを浮かべる事が多々があった。  それが私には理解できなかった。  なぜ、自身を害しようとした男の番を傍に置くのか、捨て置けば良いではないか。  するとあの女は、主様に頭を下げた。  最初は、自分のした愚かしさにやっと気づいたかと呆れたが、次に出た言葉に驚いた。 「ありがとう」  あの女、いや……彼女はそう言ったのだ。  カナは愛する男を殺され、一度は主様に牙を剥けた。  だが一度冷静になり、しっかりと話を聞いた後主様への礼を告げたのだ。    私に出来るだろうか、いくら番の最後が救われたとは言え、愛した男を殺した相手を許し、あまつさえ礼を言う事が。  膝の上で眠る主の頭をなでる。  そこには以前まで無かった深紅の角が二本ある。  胸の奥に広がるこの愛おしさは、忠義や主従関係なんて簡単な物では表せない。  もし、もしも主様が誰かに討たれた時は全霊を持って、一切の慈悲もなく仇を肉片の一片も残さずに消し去るだろう。  だが彼女は、受け入れ、礼を告げた。    ……その事に関してだけは、私は彼女を認めなくてはならないかも知れない。  牙を剥いたことは今でも許せないが、それと同時に罪の意識に苦しむ主様の心を救ったのも彼女だ。  次からは、もう少し彼女に対する態度を改めてもいいかもしれない。  そして、可能ならば彼女も主様の心を支える一人となってくれればいい。  私は、安らいだ顔で眠る主様を見てそう思った。
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