宮川あぐりの追憶

2/17
前へ
/17ページ
次へ
11月3日 荒涼な土地をを霜が覆い、かわいた空気が肌に突き刺さる。 制服のポケットに入れた左手はそのままに、私は重い扉を開けた。 中から逃げ出してきたぬるい空気は、私に少し不安を与えたあと、冬に取り込まれていく。 ここの扉を開けるのは苦手だ… この町には2つの図書館がある。 私がいる幡多木生涯学習センターは、昨年建てられた私立図書館に比べ、蔵書数も設備の面でも相当劣っている。 そのため、館内をうろつく者は私と彼を除いていないだろう。 黒ずんだ廊下の先。 学習室のプレートが下がる扉を開けると、須永秋人はいつものように本を読んでいた。 「こんにちは。 今日は何を読んでるんですか?」 彼は本から目線を上げ、気だるそうに表紙を私に向ける。 無駄を全て排除したような綺麗な容姿。 幽鬼のように白い肌と、色素の薄い髪。 それらは須永秋人を浮世離れした、近づき難い人物へと構成していく。 「なんだろう…… あっ、『刺青』だ」 彼の座っている席へ近づくと、それが谷崎潤一郎の著作であることがわかった。 「昨日は萩原朔太郎だったのに、また随分と違うジャンルですね。」 「そうでも無いよ。」 その恐ろしく線の細い身体からは、およそイメージ出来ないよく通る低い声が、閑散とした部屋に響いた。 表紙をなぞる手は、悲しくなるぐらい骨ばっている。ちゃんと食べているのだろうか。 「途中まで北原白秋を読んでいたんた。 それで、耽美主義も読んでみようかなって。」 「ほほう。 だから、こんなに本が散乱しているわけですか。」 設置された長机には『痴人の愛』や『人間椅子』などが、無造作に置かれている。 「私はあまり読んだことないなあ。」 「お前の好きな本は『ごんぎつね』だもんな。」 「あ、馬鹿にしました?」 「してねぇよ。 お前はどうでもいいけど、新美南吉に失礼だからな。それにあれは名作だ。」 ぶっきらぼうな口調が、何だか懐かしくて笑ってしまった。 そんな私を不審な目で見つつ、彼は一冊の本を手に取り、パラパラとページをめくる。 「さっきこれを読んだんだ。」 表紙をのぞき込むと、またしても谷崎潤一郎。 「おまえと同じ名前の女が出てきたよ。」 そういった彼は珍しく、穏やかに微笑んでいた。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加