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昼頃に帰宅した織希は、昼食を食べ縁側で味噌汁の具に使うサヤエンドウの筋を取っている村上を夢中で描いている。何もないこの農村で、何かに夢中になれるものがあると言う幸運。そして、その才能を伸ばす為の先生がいる奇跡を噛み締める。
ふと遠くの空でぱん、ぱんと小さな破裂音が響き山にこだました。思わず顔を上げ、村上はああ、と声を漏らした。
「空砲か」
「今日は花火大会だよ。去年もそうだった」
そうだったか、と考えて、村上はふと三人で見た花火大会の事を思い出した。
「今年は浴衣でも出すか。何処にしまったかな」
浴衣を探そうと腰を上げる村上を、織希は慌てて止める。
「お父さん、動かないでよ」
「もっと格好良いところを書いてくれよ」
こんな背中を丸めてじじいらしくサヤエンドウの筋を取っている所より、もっとあるだろう。そう思ったが、スケッチブックを鉛筆でなぞりながら、織希は真面目な顔で強くそれを否定した。
「お父さんはいつでもかっこいいよ」
酷い親の元に生まれたにも関わらず、優しい子に育ってくれたことが嬉しくて。思わず目頭をこっそり抑える。
いつか、教えてやれるだろうか。我が身をも顧みず、二人を守ってくれたあの美しい青年の事を。
穏やかな幸福に押し流される時の中で、底の見えない穴が、村上の胸にはぽっかりと空いたまま。
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