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夏場はまだ陽も落ち切らない五時に、玩具店『ままどおる』は店じまい。小笠原の言いつけ通り裏戸の鍵はかけず、村上は店を後にした。
店から徒歩二十分の自宅へ帰る道すがら、ちいさなスーパーに寄る。安い缶チューハイを一本と、つまみを少し。刺身か、塩辛か、蛍烏賊。その日の気分によって変化はあれど、決まってこの二つを買い家路に着く。それが村上の日常だった。
胸踊る出来事も、身を焦がす熱情も、何の抑揚もない、それが村上の人生。それに何の不服もなければ、幸福を信じた事さえなかった。
友人はいない。かつては確かにそう呼べる人間はいたが、世間の言う道を踏み外してからは皆揃って背を向けた。それに対して悲観した事は一度もなかった。元々その程度の人間関係しか構築出来ない人間だ。そもそも村上自身もそうだ。面倒事には巻き込まれたくない。人生に波風が立つ事を極端に嫌い、世間から目を向けられる事を嫌う。
幸福でなくとも良い。日に一度の飯すら満足に食えなくとも良い。ただ真っ直ぐ、死に向かうのみ。村上はそう言う人生を生きていた。
ちいさなビニール袋をぶら下げ、スーパーから約五分。漸く噎せ返る程の熱気から解放され、村上はひとつ深い息を吐いた。オートロックの扉を潜り、エレベーターに乗り込み二十七階で降りる。広い廊下を進み、突き当たりの部屋。欲のない村上には到底似合わないタワーマンションの一室が、彼の住む家だ。
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