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「雛菊姐様、今日はどちらの紅を使いはりますか」
禿が数種類の口紅を持って雛菊の部屋にやってきた。
「今日はその右側のやつと決まってはる」
今日は、正太郎はんが来はるから―――
雛菊は茜色の口紅を禿から受け取ると、小指で上下の唇にそっと色をつけていった。
山城正太郎。彼もまた、雛菊の馴染みの客であった。
「最近、姿お見せにならへんかったどすなぁ」
正太郎の猪口に酒を注ぎながら雛菊は彼の手元を見た。京都見廻組で剣術師範をしている彼の手はごつごつとしていたが、雛菊は正太郎のその手が好きだった。
「ああ。ちょっと仕事の方が忙しくてね。今日は泊まれるから、雛菊とゆっくり過ごせるよ」
そして酒と食事もそこそこに、2人は床に移った。
「雛菊。お前、生まれは江戸だと言っていたな」
「へぇ。それがどうかしはりました?」
「私はお前の京言葉が好きだ。お前の努力の結晶だ」
「大袈裟どすなぁ。正太郎はんの為ならいくらでも喋りますえ」
雛菊はそう言いながらふわりと微笑んだ。その頬を、正太郎の節くれだった指が撫でた。
「雛菊、本当の名を何という」
「当ててみておくれやす」
「そうだな。雛菊、だから、お菊、か?」
「ふふ…外れどす」
雛菊は、自分の頬を撫でる正太郎の左手に自分の左手を重ねた。
「雛、どす。お雛祭りの日に生まれたからやそうや」
「そうか。いい名だ」
そう言って、正太郎は雛菊を抱き寄せた。
「正太郎はん」
「なんだ」
「うち、身請けされるかもしれまへん」
正太郎はわずかに間を開け、「本当か?」と小さく言った。
「まだ、決まったわけやあらへんどすけど」
「そうか、それでは、会えなくなってしまうな」
「それは違います」
そう言った雛菊に対し、正太郎はどういう意味だと目を少し見開いた。
「ここの外に出られさえすれば、いつでも正太郎はんにお会いできます」
「なんだ、不義密通ってやつか。そんなことをしてばれたら、ただでは済まないぞ」
「構しまへん。ここで死んだように生きているくらいやったら、正太郎はんのために死んだ方が、生きた心地がしはります」
「嬉しいことを言ってくれる」
正太郎は少し体を離すと、雛菊の唇にそっと自分の唇を重ねた。
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