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ふとふたりの頬をするどい光が撫で、同時に顔を上げる。
「朝だ」
随分と長く話し込んでしまっていた事に気付いた途端、ふたりの肩から同時に力が抜ける。顔を見合わせると、どちらともなく吹き出した。
「ひどい顔」
「美人が台無しだ」
引き寄せられるまま瞼を閉じてくちびるを重ねる。塩っ辛くって、また笑えた。
「さあ、織希を起こして朝食にしよう」
村上はそう言って立ち上がった。少しよろけながら台所に向かう背中を視線で追いかけながら、八雲は胸が満たされてゆく不思議な心地に微笑んだ。
この男に出逢えて良かった。八雲は今、心からそう感じていた。
台所から包丁がまな板を叩く音が響く。机を拭いて、箸を並べて、村上の声でお揃いの茶碗にご飯をよそって。
そうしているうちに寝坊助が起きてくる。大事そうに、シベリアンハスキーの人形を抱えて。
「おはよう」
おはよう、と返す八雲を見詰め、織希はおかしそうに笑う。
「うさぎさんみたい」
真っ赤な目を細めて、八雲も笑った。
普通の家族の形ではない。普通の家庭の生活ではない。けれど正しいものなどないと、村上は教えてくれた。
幸福な朝食を囲み、洗濯を干して、織希が絵を学んでいる間に部屋中の掃除をして、密やかに口付けを交わす。小川で冷やした野菜と素麺で簡単な昼食を済ませ、織希の勉強を見て日が暮れて、また村上の作った美味しい夕食を三人で食べて、その日の汗を全て流し縁側に座って愛を語らって。一日中忙しく笑って、泣いて、憤って。苦しんで、悔やんで、ぶつかって。疲れ果てて眠りに落ちて。
そしてまた、朝が来る────。
【完】
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