第一章 空白の二年

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 朝か──ふとそう思い、八雲は弾かれるように飛び起きた。頬を撫でる木漏れ日。山から吹き降りた新鮮な風。荒く息を吐くたび、熱い吐息がくちびるを震わせる。それでも視線を上げ、拡がる安堵に汗を拭う。やはり、朝だ。  古い平屋の日本家屋はどこも畳張りで、縁側までついている。最近張り替えたらしい障子はどれもぴんと張り詰めていて、ここで二年八雲の帰りを待っていた村上の性格が伺える。  布団から抜け出し歩く度に軋む廊下を進み居間に出ると、円卓には朝にしては豪勢な食事が並び、ハエ避けの小さなネットが被せてあった。  ぼんやりと立ち尽くす八雲の気配を感じたのか、扇風機を回し枝豆の茎を鋏で落としていた村上がゆっくりと顔を上げる。 「おはよう」  目尻に細かい皺を湛えた優しい微笑みに迎えられ、また、この声が聞ける日が来るなんてと八雲は喜びを噛み締める。  おはようと小さく返し辺りを見回したが、居間には村上しかいない。円卓を囲むように置かれた座布団に腰を下ろし壁に視線を投げると、沢山の絵がそこら中に貼ってあった。 「絵、こんなに上手くなったんだ」  酷い虐待を受け、死にかけた野良犬のようだった少年が、二年でこれ程までに成長を遂げたなんて。絵の事なんか何もわからないけれど、それにしても上手い下手位は判断できる。やはり、織希には絵の才能があるのだろう。 「これなんか、凄いだろう」  村上は嬉しそうに立ち上がり、一枚の絵を持って八雲の直ぐ隣に腰を下ろした。 「これはな、小松さんが織希に、大切な人ってお題を出した時にあいつが書いたものでな、俺と、八雲二枚セットで──」  ふと村上は思い出したように八雲を振り返る。 「眼鏡は」  絵の中の自分は、やたら主張の激しい黒縁眼鏡を掛けている。村上も、きっとこの方が見慣れていたのだろう。ちいさく笑い、村上の顎先を引き寄せる。 「壊れてしまったから、置いて来た。なくても見えない訳じゃない」  優しく唇を重ね、二人は待ち侘びた再会を噛み締めるように畳の上で指先を絡めた。
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