第七章 悪夢

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 家を出る頃には雨足は随分と弱まって、辺りを濃い霧が包み込んでいた。まだ夕暮れ前だと言うのに、もう薄っすらと暗くなっている。山から吹き降りる風も、夏と言う事を忘れそうになる程肌寒く感じた。  織希はほぼ毎日小松に絵を教わりに行っている。決まりはなく、織希が行きたい日に行って良いのだが、小松が大変だから、と村上がお休みの日を与えなければ毎日行ってしまう程のようだ。  時間は朝から昼食までが基本だが、今日のように小松の家で昼食を食べて、夕暮れ前までアトリエにこもる日が週に何度かある。そう言う日はお迎えに行く。八雲が同行するのは、これが初めてだった。  小松の家は坂を下り畦道を二十分ほど歩いた所で、村上の家と集落の丁度真ん中辺りに位置している。赤い屋根の、ちいさな家だ。六畳程はある全面硝子張りのサンルームがあって、そこが小松のアトリエとなっている。  玄関には目もくれずサンルームに回り込む村上について行きながら、八雲は初めて見る景色を夢中で追い掛けた。  雨粒に濡れたガラスケースの中、織希はテーブルの上の林檎とみかん、それに何故かシベリアンハスキーの人形を添えた不思議な集合体の前で、年季の入ったイーゼルに置いたスケッチブックに夢中で草臥れた鉛筆を走らせていた。真っ直ぐな瞳は情熱に煌めき、輝きを放っている。その姿は、傷んだ心に酷く染みた。  その後ろで顎先に手を当てて織希の手元を見詰めている鼻眼鏡の男が、織希の絵の先生を自ら志願してくれた小松と言う画家の男だろう。よれたカーディガンを羽織る身体の線は細く、立派なしろい口髭を蓄えた総白髪の老人は、宛ら芸術家のような風体をしている。
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